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漫画家まどの一哉ブログ

   

読書
「オネーギン」プーシキン 作
(岩波文庫)

オネーギンは才ある青年でありながら、タチヤーナの求愛に真剣になれず無碍に断ってしまう。その後友人との決闘沙汰を起こし、行くへ定まらぬ人生の果てに、今度こそタチヤーナを愛そうとするが…。

19世紀文学の舞台となる恵まれた貴族社会にあって、多方面に才能があり社交界でも人気の青年が、やがてなにもかもに興味を失い虚無的な態度に傾いて行くのは、小説の上でも実際にもよくある現象だと思う。
このような主人公がやがてどのような大人になって行くかまで書かれることはあまりなく、青年のうちに破滅する役割が文学史上の通例だ。

プーシキンは自身が活動的で派手な人生を送るタイプであるからか、この作品の語り口は非常に面白く飽きさせない。一語一語が魅力的で、数行追うだけで興奮してしまう。まさに登場人物が時代を飛び越えて我々に迫る出来栄え。ひょっとしたら原文の韻文を現代語訳して散文に置き換えた効果というものがあるのかもしれない。

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読書
「日本蒙昧前史」磯崎憲一郎 作
(文藝春秋)

高度経済成長後の70年代日本。グリコ・森永事件や大阪万博、五つ子ちゃん誕生から横井庄一さんまで。混乱を極める実際の様子を追って、行方知らずの日本の蒙昧に至る。

当時私がマスコミから伝わってくる範囲でよく聞いた事件ばかりだが、その内幕を知ると一筋縄ではいかない迷走ぶりで、なるほど現実とはこんなものかと納得がいく。五つ子ちゃんの山下さん一家もたいへんだが、大阪万博の立ち上がりのいいかげんさは、今も昔も変わらず、いかにも日本人らしくて驚いた。そしてジャングルに一人残された横井庄一さんの孤独はあまりにも辛い。

ところでこの作品はこれでもフィクションであり小説なのだ。たしかにノンフィクションやルポルタージュ小説とは明確に味わいが違う。書かれていることは事実であって、問題を定義するわけでもなく、おおげさに秘密を掻き立てるわけでもない。しかしこれが小説となると非常に珍しいなんとも不思議な感触がある。

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読書
「神保町「ガロ編集室」界隈」
高野慎三 著
(ちくま文庫)

激動の60年代につげ義春・林静一・滝田ゆう等革新的漫画を次々と生み出した「月刊漫画ガロ」。編集部の5年間をふりかえった一冊。

この時代の情況の持つ大きさがいかに現代と違うかがわかろうというもの。70年安保反対・反ベトナム戦争・学園闘争など高度成長の歪みや矛盾を体感せざるをえない中で、若き「ガロ」の作家も当然この情況を共有していた。切迫した情況が革新的作品を生んだ。ということが、やはりあるのだろうか。
情況的には現代の若者の抱える社会的困難も、当時に比べてけっして小さなものではないはずだが、社会的共有感が違う。今の若者は社会的存在の意味を知らず、第一に自分個人の生き方の問題としてとらえる傾向を感じてしまう。

漫画のみならず映画や音楽において著者の興味や交友関係の広さ・多彩さに驚くが、逆に見ればごく趣味的な狭い範囲のつながりであったかもしれない。それは著者が「ガロ」を離れて北冬書房「夜行」を刊行して以降さらに色濃く、やはり「ガロ」時代とは違った才能が集まってきたように思う。

ここからは私事であるが、私が読者として「ガロ」と出会ったのは「カムイ伝」が終了する頃でありまだ著者が編集していた時代だ。そして私が投稿、及びデビューする頃には担当は南伸坊氏であった。その後なぜかほんの数回北冬書房の催しに参加したことがあり手元に写真が残っている。つげさんやシバさんをはじめ、清順監督や一衛先生が写っているものである。
「架空」創刊後はよく出向くようになった次第であります。

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読書
「魔法の樽」マラマッド 作
(岩波文庫)

ニューヨークやイタリアを舞台に底辺で商売に生きる人々を描いた珠玉の短編集。その多くが不遇なるユダヤ人。

ドラマ性の濃い短編ばかりで、面白くすることに躊躇がない。文章自体はごくわかりやすいもので、登場人物の言動がそのまま伝わればいい書き方。映画やテレビドラマを見ている感覚で読める。作者の両親がユダヤ移民で雑貨店を営んでいたので、同じような設定が多く出てくる。破滅に至らないまでもうまくいかない人生の悲哀を描いて悲しい。

「天使レヴィン」:人生の危機に際して、信仰心厚い男は神に祈るが、現れたのは黒人の天使だった。なぜ黒人かというとたまたま順番がそうだったから。この天使と自称する男の言い分を信じていいのだろうか。
「ほら、鍵だ」:若きイタリア史研究者一家がローマに移り住んで住まい探し。予算もなく、なかなか条件に合う物件にめぐり合わないでいるところ、フリーの不動産仲介業の男にふりまわされる。喜劇であり悲劇であるがなかなかにリアル。みな大変だ。
「請求書」:マンション管理人の男は、向かいにある老ユダヤ人夫婦が営む雑貨店でツケで買い物ができることに気付き、おおいに買い物するがいっこうに支払う様子がない。全く無計画な男。いったい何がしたいのだろう。

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読書
「エドウィン・ドルードの謎」
チャールズ・ディケンズ 作
(白水Uブックス)

絶筆となった未完の長編。ある日忽然と姿を消した青年の行方を追って、虚実入り混じる著者渾身のミステリー。

殺人事件の犯人と思しき男の異常な性格が次第にあらわになり、いよいよ得体の知れない探偵登場というところで終わっているのだが、それでも細かい活字の新書本で400ページ近くある本格長編小説。
未完とはいえここまでがあまりに面白く、さすがにただのミステリーではない。その登場人物のなまなましさたるや、悪人および卑小・下劣な人間を書かせたら文豪の中でもディケンズは抜きん出ているかもしれない。

甥っ子に異常な愛を注ぎ、若い娘には一方的な恋情を寄せるアヘン中毒者の聖歌隊長。子供に石を投げつけられても平気の、頑健な風来坊の石工の男。薄っぺらな名誉と支配欲に余念がない町長。正義漢だが血気盛んで直情的なため、犯人と間違えられてしまう青年。冷静なその妹。カタブツだが着実に少女を救うべく手を打つ老法律家。その他石投げ不良少年やアヘン密売女など、善悪入り乱れてこれでもかとばかりに色濃いキャラクター揃いの、不滅のエンターテイメント。これぞディケンズ。

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読書
「ポオ評論集」
(岩波文庫)

怪異幻想小説の書き手であるが、いたって理論的で明晰な方法論を持つポオが、同時代の文芸作品を論評。ただしかなり気を使っている印象。

いろいろな雑誌を渡り歩いて生活の糧としていたポオの文芸評論。雑誌連載なので、構えることなくその時のノリを大切に書かれたようで、楽しんで読むことができる。ディケンズやホーソーンの仕事に対しても、タイトルの付け方がどうだとか、あの人物は殺してしまわない方がよかったとか、直截なコメントが楽しい。

一方ワーズワーズの仕事を批評しながら、詩の詩たるいちばんの由縁を解説。事実でも道徳でもなく、審美眼に足るものでなければならないことを縷々説くがもっともな内容で、散文とは違う詩のあり方が納得できるというもの。そしてポオがまったく冷静でロジカルに詩作品を作り上げていく実例が「大鴉」を題材に解説されている。

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読書
「ブラス・クーバスの死後の回想」
マシャード・ジ・アシス 作
(光文社古典新訳文庫)

名家の生まれながら何事もなしえなっかた人生を、死んでから作家となって振り返る。19世紀ブラジル文学。

カバにさらわれる幻想。自分が死んだところから始まるなど、いささか奇妙な味わいはあるが、自伝文学の体裁をとって少年の頃より追って行きだすと、どうしてもよくある読書感覚になってしまう。

ところが作者も心得たもので、ごく短い章立てが160章まであり、しばしばエッセイのように気軽に書き手である現在の主人公が顔を出すので、読むほうも気がまぎれる。そうやって読んでしまうが、この登場人物に財力があるおかげか、あまり切迫した事件はなく、おもしろいのは密かに進む不倫のスリルぐらいだ。

この作品はそれまでのブラジル文学の画期となる記念碑的作品で、作者がブラジル文学史を代表する所以でもあるらしいが、今われわれがそれを知らずに読む限りでは、そこまでのいきさつはわからない。肩の凝らない純文学といった印象だった。

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読書
「巫女」ラーゲルクヴィスト 作
(岩波文庫)

ギリシャのデルフォイ。アポロン神殿が見える丘に一人住む老女が語る、巫女として神に仕えた運命と格闘の物語。

ラーゲルクヴィストは1951年ノーベル文学賞受賞のスウェーデン作家。
話の前半はふとしたことで神の悪意を買った男が歩んだ惨憺たる人生を、丘に住む元巫女の老女に訴える内容。そして大部分を占める後半が、応えとして語られる巫女の苦闘の半生である。

ここに登場する神は手に負えない荒ぶる神で、人間に対して容赦なく破壊的で横暴であり、暴君に魅入られるようなものである。正義や善意を旨としないものに、人間は支配されて生きていかねばならない。あんまりな解釈であるがそのじつ宗教の果たしている現実はそうなのかもしれない。

全く現代社会とかけ離れた設定ながら、宗教団体の経済がなりたっているシステムは現代社会そのままである。古代ギリシャを舞台としたいかにも作為的な設定で、老女の一人語りだけながら、単なる寓意小説でもなく多彩な出来事と喜怒哀楽で読み応え充分の傑作。

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読書
「左利き」レスコフ作品集1
(群像者)

1880年代に相次いで書かれたロシアの作家レスコフの短編集。ジャーナリストの目で見抜かれた民衆のしたたかな人生。

先に作品集2を読んで面白かったので1も読んだ。クセのある人間ばかり登場する濃厚な作品群。そして彼らの人生にふりかかる劇的な運命。いかにも短編小説。

「じゃこう牛」:本書中半分のページを占める中編。じゃこう牛とあだ名される主人公は、偏屈で無礼者だが誠実で弱者を思いやる修道僧の男。儀礼的なマナーや上下関係、エゴイズムとは無縁の風来坊のような暮らしで、どこでどうしているのやら神出鬼没である。この人物造形が実に魅力的で目が離せない。そして彼の人生が敗北に終わることも悲しい。

「ニヒリストとの旅」:急進主義者・革命家をニヒリストと呼んで、おおいに偏見の目で見ているのがおかしい。しかし勘違いされる側はたまったものではない。

「老いたる天才」:金持ちのくせに人から安易に金を借りて返さない。そんないいかげんな人間はたしかにいつの世にもいるよね。最後の最後にいかにギャフンと言わせるか。

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読書
「庭」小山田浩子 作
(新潮文庫)

ふとしたはずみに日常がちょっとずれて不思議なことが顔を出す。様々な異世界を様々な方法で描いた15の短篇集。解説吉田知子。

解説で吉田知子は日常が嫌いで家族小説が苦手と言っていたが、これはまさに我が意を得たりという心地だ。ところがこの短編集の中には現代の平均的な若い家族のなにげない日常が、これでもかというばかりに続く作品がいくつかあり、そこは我慢して読んでいくと、なんとかラストでグラグラっと非日常が出現して救われる。ただこういう最後に不思議な非日常というパターンが多い気がした。

「名犬」:温泉旅行と実家の両親のようすなどが連続し、続いて露天風呂のばあさんたちの会話へと進み、どこが名犬かと思っていると、後半ようやく犬を飼うことになる。この回りくどい展開がおもしろく、他にも話が2段階・3段階とステップしてゆくものがあった気がする。

「庭声」:時代は近代。友人宅に風来坊の父親が中国人の女を連れて帰ってきて、変な小屋を建てた庭には鶴が平然と住み着いていたりするのだが、始めから架空の日常と幻想的なイメージに包まれた作品でこれがいちばんよかった。

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