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漫画家まどの一哉ブログ

   
独自の活動を続ける山坂書房。この漫画集には彼らが追求する日常切り取り漫画が集まっている。事件性は薄いが、その分リアリズムが大いにあって、いかにも日常そのものの迫真性を感じる。そこはかとない内容で、中身がないと言えばないが、そこを楽しむことができる。例えば代表される大西真人作品では、ふつう漫画では拾わないだろう日常の会話が、かなりゆっくりと丁寧に綴られてゆくので、読む者がその場に居合わせたようなリアリティが感じられておもしろい。この方法がやがてどう実を結ぶのか興味津々だ。それは日常の何処を切り取ってくるかという作者の目線にあるわけだが、いまのところ今までの漫画が描くべきだとしていた濃い部分を拾ってくる気はないとみえる。そこが既存の漫画を読み馴れた目からみればもの足りなく、また逆に風味なのです。

山坂の両輪のうち一方の三好吾一作品は、資料写真からフリーな描線で場の光を表現するのがうまいので、絵が心にしみてくる。これも小学校の小さなエピソードを描いた、秀逸の風味漫画。かってに風味漫画と呼んでいるが、この方法に徒に内容を求めるのでなく、じわりじわりと熟成してくるのを待ちたい。

そして炭子部山貝十先生の漫画はさすがに中身が濃い。このリアルなしっかりした生活者ドラマを、こんな粘りのある楽しい絵で読めるなんてシアワセ。作者の体験をしっかり活かして、ドラマに出来る。異才の中に実力あり。読もう!


miyazakikume     「友引の雨」
大鯵温州        「ふるさと小包」
大嶋宏和        「これからの私たちに起こること」
大西真人        「桃」
キクチヒロノリ      「ともだち」
高橋マナブ       「ニコニコ屋」 
炭子部山貝十     「ビバ限界集落」
永田智子        「白線」
藤田みゆき       「手駒」
藤本和也        「下校物語」
三好吾一        「ひとごと」
もぐこん(遠藤俊治)  「山坂それと知らず古戦場を歩く」

http://www.yamasaka-shobo.com/

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「豊饒の海」
三島由紀夫
 作

三島由紀夫の絶筆であり、ライフワークとなった長編「豊饒の海」
輪廻転生を題材としているだけに、背景には仏教思想が色濃く流れている。三島由紀夫と仏教思想というのが、なんとも意外な気がする。だがそれは空とか無常とか諦念とかではなしに、阿頼耶識を中心概念としたアビダルマ哲学のようなもの。登場人物はインドまで行って大乗の哲学に目覚めるのだが、その辺りはなんとなく手探りで書かれているような気がした。悟ってしまえば小説なんか書かないだろうとは思うが。

第一話「春の雪」
この第一話を読んだのはかなり前。大正時代。眉目秀麗な侯爵家の一人息子、あまりに繊細でプライドが高い性格のため、想いを寄せる伯爵家の令嬢に素直になれない。彼女と宮家(皇室)との婚礼が決まってしまった後、ようやく二人は愛を貫くことができるが、それは破滅へ向かう禁断の恋であった。 主人公は死ぬ前に「また何処其処で合おう」と謎の言葉を残して死ぬが、これが次の生まれ変わりの人物との出会いとなっていく仕掛け。しかも身体には、代々生まれ変わりの徴あり。

第二話「奔馬」
やはりいちばん面白い巻。昭和戦前。今度の主人公は、日本と皇室のために君側の奸を切って、自らも切腹することを願うピュアな少年で、危なげなテロ計画の進行にはらはらする。当然最後は破滅なわけだが、第一話の耽美少年、第二話の右翼少年とも、主人公はあきらかに作者三島の分身である。

第三話「暁の寺」
この寺とはなんとタイの寺で、今度はタイのお姫様に転生。やがて仏教哲学が縷々語られることになるが、退屈してきたところで物語自体が進んで読者を引っぱっていくように仕組まれている。そしてエロチックな内容となって、三島の世界が全部出た気がした。

第四話「天人五衰」
はたしてほんとうに一連の転生した人物か?凡人を見下して生きる悪意の天才少年が主人公。莫大な財産の取得計画のゆくえは?やはり最後は破滅に至るわけだが、全話を通して転生した少年たちを見守ってきた、もう一人の主人公も最早老残の姿をさらし、しずかに衰えてゆく。


これらのストーリーが絢爛豪華な美文で描かれ、風景描写でもちょっとおおげさすぎて頭に入ってこないくらいだ。フツーの空や海や木々なんてものはないのだ。すべては美のためにある。

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読書(mixi過去日記より)
「チーズと うじ虫」
カルロ・ギンズブルグ


16世紀、イタリアの一地方に住む一介の粉挽屋メノッキオが、
その独自の反キリスト教的世界観のため焚刑とされるまでをたどる、
1984年発行当時話題となった歴史書。

メノッキオ曰く
「神様とはなんであるか?それは空気であり、水であり、土、火など、すべてが一体となったカオス。それが神そのものであり、そのカオスの中から、ちょうど醗酵させたチーズに自然とうじ虫がわいてくるように、生まれてくるのが天使だ」
この自然観にぐっと来た。天使のところを生命と置き換えて読めば、神という言葉を使っていても、この人の世界観が、いかに自然科学に近いかということがわかる。
「来世なんていうものはなく、肉体が死ねば、同時に魂も死ぬ」
「キリストは男と女の間に生まれた、ふつうの人間だ」
どうよ、この世界観。

当時ローマ・カトリック教会による特権的な支配、収奪を地方の人々は快く思っていなかった。ということもあるが、中央から離れた土地では、キリスト教以前の、口頭伝承的な農民の宗教観・世界観がまだまだ背景としてあった。ということが学習できた。忘れるけど。

それにしてもこの粉挽屋メノッキオという人は、10指に余る書物に接しただけ、しかもトルコ人にはトルコ人の、ユダヤ人にはユダヤ人の宗教があるということを、学んだだけで、それぞれの民族にいろんな神様がいて、それは対等であることに気付いてしまう。キリストの教えもその一種に過ぎなくて、たまたま我々がキリスト教圏に生まれただけであり、所変われば教えも変わることに。
今日の欧米、特にアメリカ人が、なかなか自分たちのキリスト教を相対化して見ることが出来ない中、この16世紀の田舎の粉挽屋ときたらもう、すごいよ!おそらく根っからの自然科学者だと思うよ。いたんだねえ…、こんな人が。

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映画(mixi過去日記より)
「街灯」
監督:中平康 
原作:永井龍男

出演:月丘夢路 南田洋子 葉山良二 岡田眞澄
1957年

銀座に華やかな洋裁店を経営するマダム(月丘夢路)と、そこで働く若きツバメながら、次々と女に手を出す優男(岡田眞澄)。マダムの友人で、やはりささやかな洋裁店を営む女性(南田洋子)と、落とした定期が縁で近づきになる保険会社の社員(葉山良二)。この二組を中心に、金持ちの遊蕩娘や金をたかるゴロつき達も登場して進む、ほのかな恋愛コメディ。

始まってすぐ、そのテンポのよい場面の切り替えや、話の進行に引き込まれてしまった。
大爆笑するギャグはなく、ゆったりと長く感情を描いたりもしない。恋もほんの芽生え程度で、極端な感情の高ぶりに寄らずに、ほんの小さな面白いことをいっぱい作って、全くムダ無く繋いでいく方法が観ていて気持ちよい。
例えば、遊び人の金持ち令嬢が、プレイボーイの青年(岡田眞澄)の実家を訪れてみると、どぶの流れる裏長屋。令嬢が一人乗りのコンパクトカー(メッサーシュミット)で乗り付けた時に、近所のはな垂れっ子たちが、「おもしろい自動車がきたぞー!」と、取り巻きにくるところが愉快だった。

個人的には、若い南田洋子が可愛い。大地真央から瀬戸朝香ラインを彷彿とさせる、オデコに主張があって、鼻の付け根の低い顔立ち。

映画に疎いが、中平康という人が、日本の名監督らしいので観てみました。よかったです。
原作が永井龍男だから、名人永井龍男を読み返してもいいかもしれない。

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青林工藝舎から田中六大さんの新刊「クッキー缶の街めぐり」を、送ってもらった。多謝。
あらためて読むとさわやかにとぼけていて面白い。さわやかさんという名前のおじさんが登場するが、素敵にいいかげんな人間だ。なんだか若手漫画家にとって年長者の自分の頼りなさを見ているようで救われる。よく読んでみれば、登場する若者たちもかなりテキトーなヤツが多くて安心する。
これが田中六大のリアリズムで、メルヘン&ファンタジーの設定であるだけに、よけいに愉快です。自分のいちばん好きな作品は「さわやか魔法研究所」で、少女オルガは、かつてHIMEJOHNから発行された「魔法少女くるみちゃん」のごとくトボケた女の子であります。
ところで自分の好きなエリアーデというルーマニアの作家の作品には、よく戦争や空襲が登場して、いつの時代の空襲なのか調べもせずに読んでいたが、田中六大作品にも良く出てくる戦争や空襲の話題は、やはりヨーロッパの旧市街が戦禍を残しているという事実から発想しているのだろうか。そういった破滅や死が、このファンタジー作品集のなかに必ず顔を出しているのも、私の好むところです。
http://www.seirinkogeisha.com/

追記:トムズボックス「楽園へ行く」田中六大 この本も面白いよ。風味があって。

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つげ忠男「曼陀羅華奇譚」の後編が60ページの大作であった。体力の衰えなどまるで感じさせない筆力です。そうか、忠男さんは最初の構成をせずに、いきなり一コマ目から描き始めるのか。それで出来上がるのは、人物に語らせる事がいっぱいあるからかな?この作品は語らせる事が多いせいか、大きいコマが少ないな。
うらたさんの「ホットケーキ」が、かわいらしくて楽しかった。これなら他誌(一般商業誌)でも充分読者に喜んでもらえるはずだが、「幻燈」を読んでいる編集者なんていないからな。
同じように角南さんの「水辺の憂鬱」も、まったく前衛的でなく短編ドラマとして良く出来た素直に読めるもの。コマ数をたっぷり余裕を持って使っているので、すらすらと頭に入ってくる。この作品も内容的には他誌でも充分楽しんでもらえると思うが、表現の質が違うんだろうなあ。
その他はまったく「幻燈」ならではのもの。特におんち作品のぶっとび具合が気持ちいい。しかもちゃんと計算されている。山田さんは少女を描かないほうが、自分は好きだ。1コマ目のベッドに寝ている絵が、グッグッグッとくる。
菅野さんの作品で冒頭、腰を痛める漫画家の姿。座敷じゃだめだよ、イスにしなきゃ。

http://a.sanpal.co.jp/hokutoh/information/

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読書(mixi過去日記より)
「街と村」
伊藤整
 作

作者とおぼしき主人公が、出身地である街(小樽)と村へ帰り、宛もなく彷徨いながら数々の亡霊に翻弄される幻想小説。その亡霊とは宙を舞う小林多喜二、また自分が過去に弄んだ女たちであったりする。自分が裏切った恋人や友人達が次々と現れ、かつての行為を責められ続ける。

主人公の私はやがて村に入り、泥棒の汚名をきせられ、地獄へ堕ちて畜生と化し、その実、行路病者として葬られるという、全編自責で埋め尽くされた小説。だが、幻想小説として、なまのリアリズム以外の方法で描かれているため、息苦しさは感じられない。

自分がいかに不誠実で、利己的で、ひどい人間であるかを露悪的にまで描くのは、日本近代小説によくあるスタイル。ボクは伝統的な私小説も楽しんで読むが、そういった自責的な部分はほとんど気にしていない。自責も苦悩も不幸も、発表された時点で、自己愛と自慢であることに変わりはないから真に受けない。ボクの場合、私小説の面白さはそういった自責部分ではないことが多い。この作品は幻想性がふんだんに展開されていて、たのしいです。


百になるまで
にゃんこの声
聞きたぐねえ
ざっくらん
ざっくらん

これはねずみたちが、金銀宝石を川で洗っているシーンでの歌。
このあと主人公は猫のふりをして、この財宝を盗み出し逃走するも、角ごとでお地蔵さんに会う度に重さが増して、手放してしまいます。ふふふ。

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そろそろ次の短編の構想を練ろうとは計画するも、今日はまったく空想の羽が広がらなかった。得意先に行ったりして、終わりなき日常に追われていた。日常というものはさすがに変化に乏しいものだ。平凡な幸せがあるのは分かるが、その平凡な喜怒哀楽から一歩引いている自分がいる。人間はただの存在ではなく、自意識を持った存在だが、全宇宙から見れば、結局それがどうしたという気はする。

ところで漫画ネタの空想だが、昨日など久しぶりに子供の頃の自由な空想感覚を思い出した。これは楽しいもんだが、親に保護されている状態なので、確実に甘えが入っている。したがってこの感覚は楽しいようで、実は不毛なのである。
自分はオタクというものは、この子供時代の温室的空想の心地よさから痛手をあまり受けていない、挫折していない人達だと思っている。なんとも不思議なものだ。

つまり漫画の楽しさというものは、苦いけど旨いといったようなもので、甘さも楽しさだけど、そこは誰しも多少なり屈折しているものを味わいたいところじゃないか?と自身のポジションを確認。

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読書(mixi過去日記より)
「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)
芥川龍之介
 作

ちくま文庫の芥川龍之介全集を、ゆっくり順番に読んでいて、第3巻を読み終わった。
もちろん再読もある。
「南京の基督」「きりしとほろ上人伝」など有名なキリシタンものが多いなか、やや中編の「素戔嗚尊」がおもしろかった。続編の「老いたる素戔嗚尊」のほうが有名かもしれないが、主人公が若い頃のはなしもなかなか。

高天原の国で並ぶものない強力を誇る素戔嗚尊。またその心根は純朴かつ一本気だが、かえって彼を慕う人は少なかった。思兼尊(おもいかねのみこと)の姪に心寄せる素戔嗚尊は、仲を取り持つ約束の男に騙され、暴力沙汰を起こしてしまう。その事件が国を二分する騒動に発展した結果、彼は国を追われ放浪の身となってしまった。
やがて森の中の洞窟に住む大気都姫(おおけつひめ)と出会い、その姉妹達とも暮らし始めたが、それは実は畜生道への堕落だった。悪夢的な精神性…。
挫折の果て、森を離れ、海や山を越えて悲しみの旅を続ける素戔嗚尊。ようやく出雲の国へと流れ着いた彼は、さびしい大岩の上に一人の少女を見つける。聞けば彼女、櫛名田姫(くしなだひめ)は、巫女の占いにより、八つの頭を持つ大蛇のいけにえとされる運命。それを聞いた素戔嗚尊は喜んで、大蛇に立ち向かうことを決意するのだった。


それも自身の性格の故なのだけれど、抗えない運命に弄ばれながら、放浪する素戔嗚尊の心象風景が胸を打つ。野性的で暴力的になったかと思えば、大自然の中で恬淡な境地を得たり。だが通底するのは孤独感と悲しみだった。
さて、素戔嗚尊と八岐大蛇の決戦はいかに。芥川は意外なところで物語を終わらせてしまいます。ええっ、ここで終わり?!でもそれが芥川。
それにしても、やっぱ基本だね!造形的な作風が自分にぴったり。オモロいなあ。

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読書(mixi過去日記より)
「馬」
小島信夫
 作

小島信夫は2~3冊持っているのだが、
新潮文庫で改版された「アメリカン・スクール」が出たので買ってみた。
8編の短編のうちには既読のものもあるが、やはりたのしい。

そのうちの一編「馬」を紹介。
主人公の知らないうちに、自宅庭で増築工事が始まった。すべて妻のへそくりと画策によるものらしい。その二階屋の二階に自分は住むことになっているのだが、なんと一階には馬が住むという。腹を立てた自分は大工の棟梁を殴りつけようとして、梯子から落ち病院へかつぎこまれた。病院の窓から自宅を見ると、妻は頭領とできているようだし、よく見ると頭領と思った人影は自分のようでもある。どうやらここは脳病院のようで、やがて精悍な馬がやってきて、妻は日ごとに馬べったりの暮らしをおくり、自分はなんとか馬を征服しようと試みるのだが…。

つげ義春の夢漫画を読んでいるようなシュールな感覚。日本幻想文学中、十指にあげるかもしれないくらい気に入りました。
その他「鬼」「小銃」「星」など、主人公の私はつねに世界との関係で、ほんろうされるばかりだ。
例によって解説は保坂和志。

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