漫画家まどの一哉ブログ
ベイトソンより抜粋
ベイトソン「精神の生態学」より抜粋
ベイトソンも面白いけど、最近は年齢を重ねたせいか、こういう論理的なもの物を長く読んでいるのに耐えられない。感情が飢える。かの有名なダブルバインド理論を読み込む前に図書館に返却するつもりだが、なるほど!と印象に残った部分を以下に抜き書きしておこうかな。
「プリミティブな芸術の様式と優美と情報」より
あらゆる種類の技能の伝達は、つねにこの種のものだ。熟達した芸をみたとき、われわれは「すばらしい」ことを意識するが、それがどうだから「すばらしい」のかを言葉でうまく語ることはできない。
芸術家はキミョウなジレンマに陥っているといえそうだ。訓練によって技能に熟達していくにつれ、自分がそれをどのように行っているのかが意識からすり落ちていく。意識の手を離すことで、技能が身につく。
だがそうした「ハート」の、いわゆる「無意識」の、演算規則は、言語の演算規則とは全く別の方法でコード化され組織されている。しかもわれわれの意識は、大部分言語の論理によって組み立てられている。そのために、無意識の演算規則を意識で捉えることは二重の困難をともなう。意識に支配されている限り精神はこうした対象をつかむことができないというばかりではなく、かりに夢、芸術、詩、宗教、酩酊などによってそれが運よく把握できたとしても、それを言葉にするのがまた途方もなく難しいのだ。
てな具合で詳述しないが、自分もそうやって無意識の手によるところ大でありたい。
ベイトソンも面白いけど、最近は年齢を重ねたせいか、こういう論理的なもの物を長く読んでいるのに耐えられない。感情が飢える。かの有名なダブルバインド理論を読み込む前に図書館に返却するつもりだが、なるほど!と印象に残った部分を以下に抜き書きしておこうかな。
「プリミティブな芸術の様式と優美と情報」より
あらゆる種類の技能の伝達は、つねにこの種のものだ。熟達した芸をみたとき、われわれは「すばらしい」ことを意識するが、それがどうだから「すばらしい」のかを言葉でうまく語ることはできない。
芸術家はキミョウなジレンマに陥っているといえそうだ。訓練によって技能に熟達していくにつれ、自分がそれをどのように行っているのかが意識からすり落ちていく。意識の手を離すことで、技能が身につく。
だがそうした「ハート」の、いわゆる「無意識」の、演算規則は、言語の演算規則とは全く別の方法でコード化され組織されている。しかもわれわれの意識は、大部分言語の論理によって組み立てられている。そのために、無意識の演算規則を意識で捉えることは二重の困難をともなう。意識に支配されている限り精神はこうした対象をつかむことができないというばかりではなく、かりに夢、芸術、詩、宗教、酩酊などによってそれが運よく把握できたとしても、それを言葉にするのがまた途方もなく難しいのだ。
てな具合で詳述しないが、自分もそうやって無意識の手によるところ大でありたい。
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