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漫画家まどの一哉ブログ

   
映画(mixi過去日記より)
「自転車泥棒」
ヴィットリオ・デ・シーカ監督
 1948年

やっと手にした仕事に使う、大切な自転車。それを盗まれてしまい、幼い息子とともに必死で探すのだが、貧乏人と失業者やヤクザばかりの街で、自転車一台を探すのは全くままならない。ついに自分も他人の自転車に手をかけようとするが…。

前から一度観てみたかったけど、観てよかった。
主人公の奥さんがインチキ臭い占い師にハマっているところなど、ボク好みの設定。特別な感動や涙は感じないが、生活のリアルがそのまま頭に入ってきて、馴染みやすいよ。いつの時代、どこの国でもある話で、困惑する父親を間近に見てこどもは育つもんかなあ。つげ義春の親子モノを思い出した。

個人的には、貧しい人々をそのまま描くことや、波瀾万丈でない日常的な話をリアリズムと呼ぶのは違和感がある。どんな空想的なストーリーでも、また貴族や金持ちの世界を描いても、リアリズムは必要だし、そこで説得力ないとしらけるから。
でも、映画や他の分野でも、貧しい労働者の世界を描くと、リアリズムと言われてきた歴史があるから、納得することにします。今、プロレタリア文学読んでるし。

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読書mixi過去日記より
「人間の条件」
アンドレ・マルロー 作


1926年、中国共産党は蒋介石率いる国民党と、国共合作の革命政府による北伐を展開していた。しかし翌年4月、上海において蒋介石は共産党に対する武力弾圧を開始。弾圧の中で懸命に党を守ろうとする中国共産党員、清・ジゾール(日中混血児)、爆弾を抱えて独り蒋介石を狙うテロリスト陳(チェン)、ロシア人カトフ、流浪のベルギー人エンメルリック。4人の若き共産党員を中心に、フランス人財閥、零落中国人商人、秘密警察長官までを交えて、争乱下に生きる人間の苦闘と敗北までを描く名作。
物語は起伏を孕み、過激な事態が連続するが、一貫して抑制された筆致で人物の内面が描写される。

かつては新潮文庫などでも普通にあったが、近年はめったに新刊で見ない世界名作文学。今回ボクの読んだのは、1962年発行の新潮社世界文學全集で、なんと10年以上前に要町の路上に、新品同様のものが捨てられていた中から、数冊拾ってきたのだった。

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mixi日記より転載

特集「比嘉慂」
不勉強ゆえこの漫画家を知らなかった。
ヘタウマでもなくウマウマでもなく、あるとすれば素朴派とでもいうべき作風である。
もちろん内容が素朴という意味ではなく、絵が素朴。それだけに作品全体にまっすぐなものを感じてしまう。まっすぐというのは褒め言葉であるとは限らないが、この人の場合イヤミなしで使える。
沖縄という土地は、何を描いても否が応でもいろんな問題が透けて見えてしまうが、ヘタすると学習漫画のようなものに寄ってしまいそうで、それだけに扱いがたいへんだ。さすがにしっかりこなしていて、面白く読めた。
戦争・沖縄・ヒロシマナガサキなどをテーマにした小説は、けっこう好きで読んできたが、たんなる社会問題を提議するだけのものならば、捨てて来た。比嘉さんも「問題提議で終わるものは違う」と言っているが、そのとおり。魂に触れてもらわないといけない。
手塚・水木・つげ義春を基本とするのは、自分と同じです。

藤宮さんが作品化している近代文学は、自分も多く接してきたので気持ちよく読める。昔の文庫本のインクの臭いを思い出すような漫画。ぜひこのシリーズだけでネコなしで一冊にまとめてもらいたい。

「筋子」がついに本来のダークサイドにやってきた。漫画評論家の皆さんはぜひ「筋子」に挑戦して、漫画家をうひゃっ!と言わせてほしい。

巻頭特集が終わると、わたしの「光の使い手」(16p)です。お楽しみください。

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読書(mixi過去日記より)
「思想の中の数学的構造」
山下正男 著
(ちくま学芸文庫)


もしこの内容に意味があれば、ひょっとして存在論的真実にたどりつけるかも?と、興味津々で購入した本。
内容はデカルトからレヴィ・ストロース、中国の易学まで。思想の中に数学的構造を発見して楽しむエッセー。
数式が少なく(あってもナナメ読み)、数学が苦手な自分でも、とりあえず完読できたのだが…。

例えば代数構造を代表する群論。
レヴィ・ストロース言うところの親族の基本構造、易における八卦・六十四卦における陰陽の組み合わせ、ピアジェの論理学における命題・否定命題・連言命題(~と)・選言命題(~か~)間の操作、哲学史上における機会論や弁証法と唯物論や観念論の組み合わせ。これらの操作全てにクラインの四元群という群構造が適用される。なるほどそうかもれない。
でもだからどうしたの?

例えば歴史観にも数学的モデルを対応させることができる。例えば退歩史観や進歩史観は、y=文明の高低、x=時間とするとy=ax+bという一次関数で表現できる。文明が指数関数的に上昇することになると当然y=ax2(二乗)+b(二次関数)となって、グラフはググッと上昇。さらに文明を循環史観で考えると、ボクの苦手な三角関数的モデルを適応して、y=sinx+bの波形曲線のグラフ(進歩と退歩が循環して波形を描くワケね)。これがさらに上昇型循環史観のグラフへと変化していきます。なるほど。
でもこの適応が意味あるの?

例えば按分比例、比例配分は古代ギリシャや漢代中国で、配分の正義のために適用されており、配分の正義とは階層の思想に裏付けられたものである。とかなんとか…。

例えば個の独立という思想をライプニッツのモナド(おなじみの単子論)が含むようになって、関数の概念が発達してきた。神と被造物、君主と臣民と言った関係において、神・君主=独立変数として、それらに従属して機能(function)するものとして様々な社会的関係(従属変数)が関連づけられる。これが関数の概念を育てる。

などなど、他にも思想のなかに数学概念が次々と見いだされるが、
でもそれが分かったからどうなんだ?
というのが正直な感想。まあ、数理哲学や論理学は数学の楽しみと近いところにあるが、社会科学となると数学的把握はピュアすぎる。もっと生臭いもんやから。

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読書
「巡査の首」
又吉栄喜 作


沖縄本島からさらに南、日本と国交のない独立国である島国「垂下国」。珊瑚礁の島「謝名元島」で暮らす克馬と早紀の兄妹は、密かに「垂下国」へ潜入する。それはタキおばあの遺言どおり、おばあの遺骨を戦時下の「垂下国」で死んだおじいのそばに葬るためだった。
戦時中、統治者でありながら、巡査として正義と公平を貫いたと聞き伝えら得るおじい。そのおじいが垂下島の原住民「阿族」に首を切り落とされたのは、ほんとうだったのか?また、「阿族」のみが扱う興奮剤カミノキの酒とは…。

統治者である日本人から差別されて生きる琉球人。その琉球人からも蔑まれる垂下国人。さらに差別される阿族たち。てっきり現代沖縄を舞台にした小説だと思って読み始めて驚いた。しかしこのモデルとなる戦時中の舞台は台湾であり、高砂族であろう。事実は一方から見れば正義であり、一方から見れば犯罪である。同じ行為が支配であり、友愛であった。当事者は当事者の立場からすれば常に英雄であった。

けっこうゴツゴツとした文体で、ちっとも滑らかさがなく、最初は読みにくかったが、馴れるとスキがなくてスピードがでるよ。

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映画(mixi過去日記より)
「孤独な場所で」IN A LONELY PLACE
ニコラス・レイ監督

ハンフリー・ボガート
グロリア・グレアム
(1950年 アメリカ)

主人公はクセの強い映画脚本家。ある夜知り合った女性が殺され、彼に殺人の嫌疑がかけられた。彼のアリバイを証明した隣人の女優はしだいに愛し合う中となるが、ふだんは冷徹ながらも興奮するとすぐ他人に暴力をふるう彼との生活にだんだんと不安を抱き始める。はたして殺人事件の真犯人は彼ではないのか?このまま結婚してしまって大丈夫なのか?

犯人探しの推理ドラマかと思って観ると、そこは全く描いてなかった。未解決の殺人事件の渦中で、容疑者でありながら、何をするかわからない破滅型の人格を持つ男。彼を愛しながらも、日増しに増大する彼女の不安を描くサイコサスペンス。事件は解決しても、どうしたって愛は破局しかない。

芸術家肌で破滅型の男を描きながら、推理ドラマとかぶせてあるので、二重にハラハラドキドキする仕掛け。女優グロリア・グレアムのツンとすました顔立ちがとっても魅力的。ハンフリー・ボガートの鬱陶しい表情がたまらないねえ。対照的にワキの刑事夫婦は善人そのものの美男美女だった

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読書
「山ン中の師見朋成雄(シミトモナルオ)」
舞城王太郎 作


福井県の田舎町に住む中学生の成雄は、オリンピック強化選手に誘われるほど足が速く、頑健だ。代々背中にびっしり毛が生える体質で、その動物的な自分を嫌い、通称モヒ寛なる山中に住む書道家中年男と相撲を取ったり、書道を習ったりして過ごしている。
ある日森の中で馬に出会い、モヒ寛が瀕死の大けがをしているのを発見してから、事件は展開。
秘密の館で繰り広げられる、女体盛りとカニバリズムの宴とは?

前半なかなかに味わいのある文体で、主人公とモヒ寛の珍妙な生活を描いておもしろく、これはこのまま純文学として終わるのかなと思っていると、後半なぞの刺客たちや、器として利用される女たちが登場してから、加速度的にエンターテイメントとなり、あっというまに読まされてしまった。それはどっちでもいいが、いずれにしても退屈しないのは文章がきれいだからではないか?と素人ながら感じた。

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漫画を描いていて線を引く時に、その線のことをどれくらい意識するかな?
できるだけいい線が引きたいけど、いい線とはキレイな線であったり、勢いのある線であったり、詩情あふれる線であったりする。
自身の感情のあふれるままに、意識しないでペンを走らせれば、読者の心をうつ線が生まれるだろう。むかし鈴木翁二や安部慎一の描線が、かなり乱暴で未整理だった頃がある。オージさんは溢れる自分の感情を、手の速度に合わせて整理するのがまどろっこしくて、たかぶる気持ちをそのまますぐ描きたかった。てなことを言っていた。
ここには真実がある。初期衝動や立ち上がる自分の気持ちをいちばん大切する描き方。できるだけ意識を介在させずに、なまの感情をぶつけていく。それが読者の感動をよぶのだ。

翻って自分は最後まで意識的にコントロールしたいほうだ。線自体を意識するのは、ほんとうはヘンなスタンスで、できるだけ感情を活かしながらていねいに描けばそれでいい。とはいえ、手は脳より遅いので、今引いているこの線がどれくらい上手く引けつつあるか考えてしまう。このとき肝心の詩情が押さえ込まれてしまう危険性がある。
とは言え、近代日本画の伊東深水や安田靫彦などのカッチリとした描線が憧れだから仕方がない。それでいて辰巳さんのようなうらぶれた都会が描きたい。力不足すぎる。

*「Quick Japan」Vol.91で、足立守正さんが「洞窟ゲーム」を紹介してくれました。

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「架空」や連続テレビ小説と、このところ「ガロ」の時代を振り返る企画が多い。
時間がたってみれば、いろんなことが思い出になる。漫画史を精密にすると言う意味で、まだまだ調べることもあるらしい。やはり長井さんや高野さんがいて、水木さんが描いていた頃までが安全圏である。時代が近づくにつれ、思い出では済まない。

「ゲゲゲの女房」を見ている限りでは近年の事情は分からない。実は自分も長年離れていたので、詳しい事情はわからないが、長井さんが立ち上げた「自由の砦」は、滅びることなく、儲かることなく、現在の「アックス」に引き継がれている。
ところが残念なことに、一般には青林堂と青林工藝舎の違いが認知されていないので、知らない人はテレビを見て現在の青林堂のほうに問い合わせるようだ。しかも「ガロ」の商標は青林堂のものなので、今後も自信をもって利用されるだろう。

それだけ「ガロ」と青林堂の名前が人々に記憶されているということだが、創立10年を越えた青林工藝舎は連続して手塚治虫文化賞を受賞する快挙をなしとげている。これはどう考えても「ガロ」以来の文化的な蓄積、多くの作家と編集者の活動がひとつひとつ実を結んでいるわけで、もうすぐ世間の認知は「ガロ」の終了と「アックス」の歴史を確認するであろう。
現在「月刊架空」で展開されている「ガロ」史検証が、その一助となることを願う。
はたしてそんなうまい具合にいくのかな…?

ところで始めて「ガロ」を買って読んだのは、「美代子阿佐ヶ谷気分」が掲載されている号だった。中学生だったが勝又進の「かんたろ月」、つげ忠男の「うらにしの里」にしびれた。
「ゲゲゲの女房」は舞台が昭和47年に突入している。昭和47年といえば、既に頭のイカレタ自分の人生は破綻している。笑い事やない、早過ぎるやろ。この後かろうじて高校を卒業して、進学とか就職とかせず、人生というものを全く前に進めないまま、長井さんや南さんや赤瀬川先生やオージやアベシンに会うことになるが、精神が正常でないので出会っただけの意味があったとは思えない。これが自分にとっての個人的「ガロ」の時代だ。思い出話は後日に譲るとして、要するに人生にレールはなく、落ちこぼれてもなんとかなるという、青少年のためのハナシ。

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映画(mixi過去日記より)
「市民ケーン」
オーソン・ウェルズ主演・監督


新聞王として巨万の富を築き、大邸宅に住む主人公ケーンだったが、その私生活は孤独で満たされないものだった。そのケーンが死の直前に残した「バラのつぼみ」という言葉の秘密を探るかたちで、生涯が振り返られていく。結局多くの人には謎のまま終わる「バラのつぼみ」。実は、幼き頃のケーンが母親と引き離される際に、雪の中遊んでいた橇に描かれていた(ネタバレ)。ケーンの孤独な魂の奥底にあったものとは…。

かなり前だが、我が愛妻が通っていた四方田犬彦氏のカルチャースクール(事務局保坂和志)で課題となっていたせいか、よく聞かされていて内容を知っていたのだが、自分は初見。しかしなぜかラストシーンは記憶していた?。もしボクらが大富豪を絵で描こうとすると、たちまちディティールに困るね。

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