漫画家まどの一哉ブログ
「黄村先生言行禄」他
読書
「黄村先生言行禄」他
太宰治 作
太宰治は「人間失格」の流れで捉えられるのが一般だけど、お話のうまさが秀逸であり、自分は物語作家として楽しんでいる。そんななかでもこの黄村先生シリーズはとってもユーモラスな作品で気に入った。文庫本(「津軽通信」新潮文庫)解説の奥野健男はやや低く評価し、社会風刺であるところに価値を見いだしているが、ユーモラスなものを第一に評価しない人にありがちな視点だと思う。
主人公黄村先生はなんの先生なのか、「私は、失敗者だ。小説も書いた、画もかいた、政治もやった、女に惚れたこともある。けれどもみんな失敗、まあ隠者、そう思っていただきたい。」というご隠居なのだが、相手はいつも若い書生連。武道のすすめを講義したリ、我流の茶道で茶会を開いたり、珍しい山椒魚を買い付けにいったりして、たいてい大きな失敗をやらかして終わりとなる。
たしかにこれらはみな国粋主義の風潮高まる時代に、古来からの日本的なものをありがたがる精神をからかっているので風刺ではあるけれど、そこを読み取らなくても充分笑える。
太宰自身が道化となった作品も愉快だが、こんなのもいい。
「黄村先生言行禄」他
太宰治 作
太宰治は「人間失格」の流れで捉えられるのが一般だけど、お話のうまさが秀逸であり、自分は物語作家として楽しんでいる。そんななかでもこの黄村先生シリーズはとってもユーモラスな作品で気に入った。文庫本(「津軽通信」新潮文庫)解説の奥野健男はやや低く評価し、社会風刺であるところに価値を見いだしているが、ユーモラスなものを第一に評価しない人にありがちな視点だと思う。
主人公黄村先生はなんの先生なのか、「私は、失敗者だ。小説も書いた、画もかいた、政治もやった、女に惚れたこともある。けれどもみんな失敗、まあ隠者、そう思っていただきたい。」というご隠居なのだが、相手はいつも若い書生連。武道のすすめを講義したリ、我流の茶道で茶会を開いたり、珍しい山椒魚を買い付けにいったりして、たいてい大きな失敗をやらかして終わりとなる。
たしかにこれらはみな国粋主義の風潮高まる時代に、古来からの日本的なものをありがたがる精神をからかっているので風刺ではあるけれど、そこを読み取らなくても充分笑える。
太宰自身が道化となった作品も愉快だが、こんなのもいい。
PR