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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「シーシュポスの神話」カミュ 著
(新潮文庫)

不条理を前にひるまず、敢然と受け止める若きカミュの論考。

ここで言う不条理とは具体的には死のことだが、それは論考の冒頭ふれられるだけなので、あとはそれを心において読まなければならない。実存主義哲学の面々、キルケゴールの神やヤスパースの超越者など最後の最後に思考自体を停止してしまうありかたを「哲学上の自殺」とよぶ。形而上学が自己放棄に歩み寄ることをしりぞけ、カミュは不屈不撓の反抗をつらぬこうとする。不条理(死)を直視して生きて行く哲学者ならぬ芸術家の方法とはどんなものか。

芸術とは不条理な世界に生きる経験を二度生きること。唯一の出口が死という不可避のものである事実を見据えて、自分の限界と間もない終末とを確信させたまま打ち捨てておくこと。個人の生は本質的には無用なものとの自覚を持ってこそ作品は輝く。

なるほどカミュは哲学者であるより、しごくまっとうで熱血果敢な小説家。現実社会を生きる具体的な人間である。

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読書
「博士の愛した数式」小川洋子 作
(新潮文庫)

記憶が80分しか持たない老数学博士。家政婦として通う私はやがて10歳の息子ともども友人としてかけがえのない時間を過ごす。数学の不思議と人生の悲しみと喜びを描いたベストセラー。

身近な出来事や体験をもとに書かれたリアリズム小説ではなく、あえてこしらえた設定の、一種の奇想小説と思う。
記憶がないため毎日が初対面となってしまうことの寂しさ。それでも1日がスタートすれば、数学にしか興味のない博士の人間愛にあふれた純粋な性格に心温まる。数学、おもに素数の不思議なふるまいを読み物として取り入れながら、違和感なく登場人物といっしょになって謎を追う楽しさ。またプロ野球阪神タイガースの当時の試合と往年のヒーロー江夏の物語もふんだんに出てくるのも作品を彩り豊かにしておもしろい。

博士と家政婦の私とその息子の3人だけのあったかい世界と、理解なき周囲の冷たい人々の対比も効果的。文庫本オビには泣きましたとあるが、そんなことはないハッピーエンドに思える。オイラーの公式がなぜ母屋に住む未亡人を納得させたかわからなかった。

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読書
「汚辱の世界史」J.L.ボルヘス 作
(岩波文庫)

史実を元に仕立て上げた古今東西7人の悪人列伝。その他「千夜一夜物語」などから組み立てた掌編集「エトセトラ」、ナイフと銃のせめぎあう短編「薔薇色の街角の男」等初期ボルヘス。

資料文献をなぞっただけと思うなかれ。客観的な筆致ながられっきとしたボルヘスの脳内ドラマである。
「ビル・ハリガン」:ビリー・ザ・キッドのこと。10代にして理由なく人を撃ち殺す恐ろしさ。ためらいがない。悪事がストレートで裏がないからボルヘスの筆も軽快だ。これがいちばんおもしろい。
「吉良上野介」:よく日本人と武家社会の異常なメンタルを理解しているものだ。切腹が基本になっている社会。たとえ吉良が悪役だったとしても、大石の正義と顛末ついては納得できるのだろうか。

「薔薇色の街角の男」:別名で発表するほど、ボルヘスはこんな場末の殺し合いを恥ずかしく思っていたみたいだが、なんのストーリーはさておいても語りがおもしろい。

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読書
「秋」アリ・スミス 作
(新潮クレスト・ブックス)

ブレグジット後を描いた最新小説。眠り続ける101歳の隣人男性に寄り添う主人公女性。幼い頃や若い頃の思い出が、現在と入れ替わり立ち替わり進行する。静かな人生の成り行き。

なんとなく気なっていたが、書店でパラパラと文体を追ううちに惹かれて買った小説。正解だった。一見あまり巧まないような、自然でプライベートな独り言のような口調ながら、会話も地の文もじわじわと染み込んでくる不思議な感覚。

隣人の元作詞家はまだ少女である主人公と散歩しながら、世界や文化についていろいろと語りかけるが、けして教訓的なものではなく彼なりのスタンスをお勧めするといった具合だ。ことさら主人公の生き方が強調されたり、隣人の元作詞家の世界観が推奨されたりするわけではなく、ちょうどいい塩梅で、寝物語を聞かされるくらいでそれとなく進んで行く。この心地よさ。

パスポート更新の理不尽な手続きや母親の骨董品趣味などいろいろなエピソードもデフォルメされることなく、日常の一コマとして登場。
ブレグジット後といっても直接その事態が描かれているのは少しだけで、表現されているのは社会の空気といったものなのかもしれない。

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読書
「ウイルスは生きている」中屋敷 均 著
(講談社現代新書)

何をもって生命とするか。生物の世界を横断して生きて行く驚くべきウイルスの生態。彼らは物質ではない。

ときどきは一般向け分子生物学読本のたぐいも読んでいるが、結局あいまいな理解のまましだいに忘れてしまうことをくりかえす。この本もそんなボンヤリした状態で読了。

この地球上で大昔から活躍するウイルスの多様なふるまい。けっして悪役ではなく、彼らはすでに人間をはじめいろいろな生物の生存に必須のものとなっている例が紹介される。
寄生バチが送り込む弾丸として寄主となるイモムシの免疫反応を抑え、変態を阻止するポリドナウイルスの話は面白かった。また逆に宿主の免疫力をアップさせるヘルペスウイルスもある。生物がたまたま出会ったウイルスを有効活用して生きてきたという巧妙さ。

またウイルスは獲得した生物内で子々孫々受けつがれていくだけでなく、まったく別の生物へ「水平移行」して利用されていることも知った。自身では不要な光合成遺伝子を持って海中のシアノバクテリアに感染し、海中で宿主の光合成を助けるなど。すべてはウイルスの感染戦略だが、地球上で生物が進化発達していく上で不可欠だったようだ。

著者はそんなウイルスが単なる物質とされるのはおかしく、明らかに生物の仲間だとの立場をとる。巻末の生命とはなにかを考えるくだりで「生命の輪」の一員としてウイルスを考える大きな生命観に頷いた。

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読書
「安岡章太郎戦争小説集成」
安岡章太郎 作
(中公文庫)

中編「遁走」他短編で構成された戦争しない戦記文学集。巻末に開高健との対談あり。

戦記文学もいろいろと読んでいるので、「遁走」もやはり軍隊の理不尽で不合理な精神主義や悲惨な戦場を描くものと思って読み始めると、しばらく読んでいるうちに全然違う印象に気づく。著者体験をもとに書かれたこの作品では主人公は戦闘に赴くこともなく入院してしまう。

したがって訓練と病棟での話になるわけだが、そもそも主人公に兵隊としての思い入れや覚悟はなく、ひたすら食べることに関心は集中する。食事と排泄、そして残飯処理や銃の手入れや身辺の世話。実践モードに入っていないのでまわりの兵士も緊迫感がなく、戦争そのものという大きな話がひとまず脇に置かれている状態。この状態で起きるエピソードの連続がまことに面白く、やはりこれが安岡章太郎の持ち味なのか、他の戦記文学にはない味わいとなっている。

もちろん基本的には国家と社会の問題があるのだろうけど、あくまで動物としての肉体にこだわっているところが新鮮だ。
無作為に集められた人間集団に、絶対的なタテ関係の法則が嵌められていると、どうしても奇妙で滑稽な事件が連続してしまう。これも人間社会の悲しい一局面であるということかな。

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読書
「誤作動する脳」樋口直美 著
(医学書院)

レビー小体型認知症における幻視・時間感覚の喪失など、脳が巻き起こすさまざまな障害を罹患から社会復帰まで綴った著者体験記。

それにしても私たちがふだん意識していない脳の働きとは精妙なものだ。幻視にしてもそうだが、ほんの少しの誤作動で現実の把握が変わってしまう。不思議なことだが、私たちの一見神秘的な体験はやはりすべて脳の誤作動によるものと思わざるをえない。
また情報の取捨選択など脳が勝手に行っているから平穏無事に生きることができるが、その機能が失われることによる疲弊、街に出ることや料理などにたいへんな労力を使ってしまうところは、レビー小体型認知症でなくとも他の精神障害でも共通するところがあるように思う。

時間感覚の喪失や記憶障害・地図判読不能などと戦いながら、メモとスマホを駆使してなんとか世の中に出て行く苦労が赤裸々に語られる。また世の中に出ようとするまでの混乱と絶望が痛々しい。しかし著者は生来積極的で明るい性格。体験記はその性格を取り戻す過程である。
それでも初め鬱病と誤診されて受診するたびに薬の量を増やされ、だんだんと重篤化していくくだりはあまりに悲惨。よく耳にする薬や私自身も服用したことのある薬も頻出して、引き込まれるように読んだ。

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読書
「穴」小山田浩子
(新潮文庫)

田舎に移り住んで専業主婦となった身の回りで起こる不思議な出来事。少しずつ異世界へずれて行く微妙な感覚を描く。

作者について知らなかったが、期待に違わぬおもしろさ。最初は若い夫婦の日常風景を細かく描いて、ああ最近の日本文学は共感できる生活描写を欠かさないなあ…と思っていると、いきなり見たこともない動物が登場。と思ったらとつぜん河原で穴に落ちてしまう。ここからいよいよ日常のふりをした非日常が始まる。
謎の動物、謎の隣人夫人、いないはずの義兄、いないはずの子供たちが登場するが、感触はまったくいつもどうりの日常なので、奇妙なのにああこんなものかと納得してしまう心地よさがある。

文庫本解説の笙野頼子初期「二百回忌」、多和田葉子初期「犬婿入り」を思い浮かべていたが、匹敵する出来栄えと思った。

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読書
「緋文字」ホーソーン 作
(光文社古典新訳文庫)

はずかしながら名作として名高い本作を初めて読んだ。
訳者(小川高義)の腕なのか、上品で読みやすく素直に心に馴染んで気持ちが良い。わかりやすいがれっきとした大人の文章。

果たして少女パールの父親は誰であるか。おもな人物は4人くらいしか出てこないのですぐに見当がつくのだが、それにしては中盤かなり引っぱる。
ストーリー自体はそんなに変化のあるものではないが、たった4人の心の動きを丁寧に書き込んでいるので読まされてしまう。おそらく人物造形がうまくいっていて、とくに悪役の老医師チリングワースが魅力的だ。
少女パールもただ純真でストレートというのではなく、他の子供達から排斥されることによって人間社会でのしたたかさを身につけながら育っているように見える。これは母親へスターの気丈さを見ているからではないだろうか。
それに比べて若き牧師ディムズデールは秘事を働いたばかりに、7年もの間ただただ自分を責め衰弱しているようでは、本人は理由がわかっているのだから勇気や覚悟がないと言わざるをえない。これでは頭脳明晰ながらひねくれているチリングワースの復讐にあえばひとたまりもないだろう。

一直線のようなストーリーだが中身は濃く、悲劇的な最後も違和感はなかった。

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読書
「白の闇」ジョゼ・サラマーゴ 作
(河出文庫)

ある日突然視界が真っ白になり視力を失う恐怖の感染症。ほぼ全国民が罹患し都市が機能を失った中で、なおも生き残ろうとする人々の格闘を描くパンデミック小説。

サラマーゴ独特の区切りのない会話・地の文連続体は、このようなスリリングなパニック小説に際してはスピード感があってぴったりだ。ストーリー性のある作品でパニック映画を見ているようだ(実際に映画化された)。例えば感染して隔離された住民との接触を、まるでゾンビに会ったかのごとく恐怖していきなり発砲する軍人。また、使われなくなった精神病院に隔離された常態で、患者たちを支配しようとする悪党グループとの戦いなど、娯楽性に寄った内容となっている。

白い闇に閉ざされた人間の自己や、人間存在の意味・社会のあり方に対する直接的な問いかけはないが、老若男女の人生、危機に際してのつながり、夫婦の絆などのドラマはたっぷりとある。
こういった通俗性が万人受けしたのだろうか。暗澹とした世界ばかりで、読んでいてけして楽しいものではないが、これもどうしても現在のコロナウイルス危機と重ねてしまうせいかもしれない。

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