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漫画家まどの一哉ブログ

   
映画(mixi過去日記より)
「トランスポーター2」
監督 ルイ・レテリエ
製作 リュック・ベッソン
出演 ジェーソン・ステーサム

2005年

以前、前作「トランスポータ-」をチラ観して、面白かったので観てみた。

政治家の息子が誘拐されるが、犯行組織の目的は身代金ではなく、少年を介して政府に病原菌をばらまくことだった。主人公は本来「運び屋」だが、今回は少年救出&悪者退治に奮闘する。と、話の骨格は簡単。加えて、少年の母親の愛と、家族を放っておいた政治家の父、その確執も盛り込んで、ヒューマンドラマ仕立てもトッピング済みです。

登場人物が典型的すぎてアホみたいだが、これは描きたいのがアクションで、それ以外の設定を単純にしておかないと、アクションがぼやけるから。そしてそのアクションを痛快にするためには、敵役がいかにも悪者だと一目で分かるヤツでないとだめだ。漫画のようにデフォルメされた、非日常の世界からやってきたヤツ。
その意味で、この作品では、常時下着姿の殺人狂のネエチャン(ケイト・ノタ)が、イカレていて、魅力たっぷりだった。あんな細腕で重いマシンガン2丁連射できるわけないやん!いやいやいいんです。CG技術の発達のせいで、アクションシーンもだんだん過剰になり、全編「そんなこと出来るわけないやろ!」というツッコミどころ満載で構成されるようになったのです。その分、画面から来る情報量が多すぎて、肩の凝らないモノを観ようと思ったのに、脳が疲れた。

古くさいけどCG止めて、人間の脳が自然と認識できる範囲の画像に限定して、実力カンフーとカースタントで一発撮りしたほうが、かえってリアルに感じて良いのではないか?ストーリーも、もう少し屈折した設定でお願いしますよ。

よーし俺もカーアクション描くぞ!ただし牛車だ!

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特集は幻堂出版、自分は大阪生活が長いわりに、漫画活動を休止していたので、幻堂とは無縁であった。

安部慎一 作・斎藤種魚 画「月と鉄柵」を読むと、あらためてアベシンの世界にしみじみとなる。アベシンは短編は風味であるとかつて言っていたが、それが出来るのはすごいことだ。実際風味では済まない濃い内容なのに。斎藤種魚のやわらかいユーモアのある線で描かれているのがいい味。

甲野酉「未踏」は3回目。まさに絵が定着した。描き込みすぎず、省略をして、情感を出す。とても読みやすくて不足を感じない。上手い。

オカダシゲヒロ「自分崩壊」この初期作品のあと、現在のギャグのほうに進んで良かった。いや、これもギャグなのかな?

黒川じょん「逃げる男」骨格は見えていても、見せながら読ませる手もある。これはうまくいった。

鳥子悟「サマー・サスピション」落語を聞いているような話術。鳥子さんはアイデア自体もさることながら、こういう能力が高い。

三本さんの「夜のホッケー」いよいよ最終決戦。
キクチさんの「新しい調和」まさにタイトルどおり。

話7割、絵3割の悲しい結果で描き飛ばしている「西遊」ですが、だんだんと核心に近づいていくと、思います。でも近づくのは次号からです。

タコシェ、模索舍、
もしくは直販
nisinosorao@yahoo.co.jp

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最近どうも午前中気持ちが塞ぎがちだと思ったら、寝ている間に感情の処理ができてないせいだ。という説もあるようだ。つまりどういうことか、よく分からないが、我が脳においては、楽しい夢でも見てうまく処理してほしいものです。
自分は感情的な人格ではないが、感情はいくら理屈で納得させても押さえ込めないことくらい分かる。感情は解放してやらねば解決しない。

これが50代の人間の危機だと思う。今NHKではミドルエイジ・クライシスと題して30代の危機を特集番組としてやっているが、もう今やどの世代も危機だ。30代が就職できない危機ならば、50代は失職の危機、そしてローン破綻、別居、離婚、うつ(躁鬱)、癌、介護、これら難題のいくつかを抱えて、まさに私も彷徨っているところ、はたして幸せな感情を抱いて毎日をおくれるか、リハーサルなしの毎日です。
で、これらは社会のせいでもあり、自分のせいでもあるわけですね。

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「アックス77」の「信じられた遊び」は、前号に続いて宗教団体が舞台ですが、「QJ」に描いていたころからよく使う設定だ。もし自分が宗教について深く考えていれば、もっと掘り下げた世界を展開するところだが、自分の人生の上で宗教には何の興味も無い。社会現象としてみているだけ。
そういう外から眺めている範囲での、実社会のリアリズムはぜひ描きたいところです。そういう点でこの作品は、いつもの奇想シュール系ではないですが、自分では気に入っております。

ところで自分は青春や人生といったテーマで語るタイプではないが、大きなものでも小さなものでも、社会共同体といったものには興味がある。サークル的小集団から果ては国家までである。しかもその社会共同体はしばしばある種の錯覚によってまとまっているところがおもしろい。
例えば日本民族は優秀な美しい民族であるとか、虐げられた労働者が団結すれば善を為す。などである。
これらの理念型錯覚は言い方をかえれば、お人好しというところが愉快だ。つまり人間性に対する一面的信頼と権力というものに対するぼんやりした甘い期待である。

人間とは欲望に忠実な存在で、どうせろくなことはしない。そしてあらゆる国家は少数の凡人による、多数の凡人への支配で出来上がっているので、たいして違っちゃいない。というのが自分の基本的な認識です。悪への理念というものはめったになく、世の社会的理念はしばしば正義を旨としておりますが、ここに小さな大失敗の原因があり、ああ漫画になるなと思うのであります。

しかしふだん描いているものは、ぜんぜん違うのです。

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懸案の池袋で買い物。
妻の具合は悪くはないのだが、外出すると緊張で笑顔が無いのがかわいそうだ。
普段混んでいる道路がすいていると、交差点での右左折や高速道での分岐を、うっかりやりすごしそうになる。
池袋のジュンク堂書店は、我々はかつてヘビーユーザーだった。妻は香山哲の漫画がいっぱい載っているギターのムック本を買った。自分は三島由紀夫の文庫本と、古泉さんの「ピンクニップル」を買った。
全国規模で縮小傾向にあるHMVだが、池袋東武のクラシックハウスは健在だった。しかし今日はジャズでBAD PLUSとJEREMY PELTを買った。
池袋西武の屋上も遊具がなくなって、閑散と寂しいかぎりである。小さい子の思い出はどうなるのだ。
帰ると「アックス」が届いていたが、この郵便物は取扱中に毀損したむね断り書きがあった。しかし開封するとなんの問題も無かった。
朝2ページ、帰宅後1ページ漫画を描いた。

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読書
「ヴェニスに死す」
トオマス・マン
 作

ヴィスコンティの映画を見ずして原作を読んだ。
既に国内で実績を積んだ初老の作家が、休養のためヴェニスを訪れ、そこで出会ったギリシャ彫刻のごとき美少年に心奪われる。作家は少年の美しさの虜となるにしたがって、しだいに大家としてのプライドを失い、日夜少年のあとをつけまわして過ごすのであったが、やがて流行りの伝染病にかかって息を引き取るのであった。

ある年齢以上になると、大人として自分を律する部分を無くしていくところが、さもありなんと思う。理知ある社会人としてのふるまいも、そうそう続けていては疲れる。人間は堕ちてゆくことによって解放を得なければならない。普段から愚行が大切だ。
愚行と言ってはあんまりだが、作中くりかえされる美に対する会話形式のモノローグには真実がある。以下。

芸術家が、精神的なものを追い求めて進む美への道は、必ず人を邪路にみちびくもの。危険で愛すべき道であり、真に邪道であり、罪の道であること。つまり必ずエロスの神が道づれになって道案内をするにきまっている。われわれを高めるものは情熱であり、恋愛ならざるを得ない。これでわれわれ詩人(芸術家)が聡明でも尊厳でもなく、人々を奈落へつれてゆくものであることがわかる。

と、いうわけで、美への道は純粋だが、それゆえにその正体は恋愛とエロスを含み、理知と経験をかなぐりすててこそ得ることができるのということか。これが老齢に達するにしたがって、いよいよ人間に残された情熱として高まりこそすれ、衰えないところが皮肉なものだ。

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読書(mixi過去日記より)
「十三人組物語」
バルザック
 作

ナポレオン帝政期のパリに潜む秘密結社「十三人組」。知力・財力・行動力豊かで名望もある男達が、実は秘密結社を組織し、人知れず社会を裏面から動かしている。という設定を背景として語られる三話のオムニバス小説。実は「十三人組」は、道具立てにすぎず、ほんの少し顔を出すだけ。
第一話「フェラギュス」
第二話「ランジェ公爵夫人」
第三話「金色の眼の娘」


面白かったのは第二話「ランジェ公爵夫人」だ。
絶海の孤島に位置する修道院を訪れたモンリヴォー将軍は、そこでオルガンを演奏し、聖歌を歌うかつての恋人(ランジェ公爵夫人)を発見する。面会を許されたモンリヴォー将軍は、彼女の変わらぬ愛を確認し、必ずや彼女を奪還することを誓うが、そもそもなぜ彼女はこうして世俗との関わりを一切断つ生活に入ったのだろうか…。
話は数年前に戻る。
冒険家として名声を馳せたモンリヴォー将軍は、一躍社交界の人気者となるが、その将軍にいちばん引かれたのがランジェ公爵夫人だった。将軍のほうもランジェ公爵夫人に引かれ、その思いはしだいに真摯なものとなって行く。だが、事実上破綻状態にあるとは言え、夫人は夫のある身。また自身のプライドも手伝って、ある一線以上に将軍を迎え入れることはなく、毎夜話をするだけで退けていたのだ。
ついに将軍はそのあしらいに侮辱を感じ、復習の鬼と化して夫人との関係を絶つ。そうなってみて初めて、ランジェ公爵夫人は将軍への思いに身もだえるようになり、一途に彼を追い求めることになるが、時すでに遅く、夫人は絶望のあまり神に仕える道へ身を投じたのだった。
さて、モンリヴォー将軍は「十三人組」の仲間とともに、ランジェ公爵夫人を修道院から奪い去ることができたのでしょうか?


バルザックは銭金(ゼニカネ)の話がおもしろくて読んでいるのだが、こういう恋愛ものもけっこうよかった。
ところで第一話のなかにこんなシーンがある。
ある登場人物の馬車めがけて、建築現場のてっぺんから石材が落ちてくる。また馬車の車軸が突然折れて大事故になり、調べてみると車軸がいつのまにか折れやすいものに差し替えらいる。それでこの人物は「俺は命を狙われている!」と気付く。
というものだが、これって今でもミステリーやサスペンスでよくありますよね。バルザックが始めたのかは解らないが、昔からずーっと皆で使ってきたんだね。

追記:最近映画化されたはず。

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映画(mixi過去日記より)
「四谷怪談 お岩の亡霊」
監督 森一生
主演 佐藤慶

1969年

やっぱまだ暑いうちに、怪談のひとつも観とかないとね。
おなじみ四谷怪談、昔劇場で中川信夫版(天地茂主演)を観たことがあるが、比べてコッチのほうが良かった。
こういう誰でも知ってるストーリーは、てきぱきと展開してこそ、面白みも倍増。気持ちよくとんとんと進む。
そして絵がきれい。構図に緊張感があるんでしょうか、人物が画面の端っこで喋っていても、間抜けじゃない。空間がすごくカッコいかった。
現代ホラーと違うところは、幽霊はリアルより美学つーところか。
残念ながら、ウチの古いテレビだと、暗いシーンは細密な再現が不可能で、ぺたーっと一様に暗いだけ…。

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読書
「大火」
里見弴
 作

花魁今紫を贔屓に通ってくるのは、向島のご隠居と資産家の息子である法科大学生の三郎だった。その日は昼間から南の大風が強く吹く日であったが、やがて半鐘が鳴りだす。5階まで上がる高い時計台から見下ろして、やあこちらは風上だから大丈夫だと安心しているうち、よもや火の手はすぐ近くまで迫っていて、楼閣の者あわてて荷物をまとめ、ついに廓外へ逃げ延びるまでを、三郎と今紫を中心に描いた短編。

里見弴はなんといってもその絶妙の語り口が魅力で、流麗でリアルで粋でしみじみとする。会話もおもわず情が移るおもしろさ。「やぶれ太鼓」という短編は、ある幇間(たいこもち)の流れ流れる浮き草のような人生の行く末を描いたはなしだが、自分はこれを読んで久保田万太郎の「末枯」を思いだした。「末枯」は、やはり落語家の流れ行く人生を、平易で美しい文体で描いた小説だ。

いまどき大正時代の花柳界や芸人を描いた小説を誰が読むだろうかとも思うし、だいたいこの日記を読んでくれている人が、里見弴や久保田万太郎を知っているとも思えない。しかも自分のようなシュール系に束ねられる漫画家が、こんな旧き東京の人情話を好んで読んでいるのも妙な具合だが、たんなる人情話ではない。その魅力はたぶん人生に対する諦観と、なによりその絶妙の文章で、平易な美文というものが自分は大好きなのである。

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読書
「取り替え子(チェンジリング)」
大江健三郎
 作

作者大江健三郎と俳優であり映画監督であった伊丹十三とは、四国松山時代からの旧友であり、また伊丹の妹を妻に持つ作者にとって、伊丹十三は義兄でもある。その伊丹十三の有名な飛び降り自殺事件をモチーフに、もちろんすべて作中の人物としての仮名で書かれた小説。
といっても事件のなぞを振り返るドキュメンタリー小説ではなく、現実を現実のまま強固に残しながら、氾濫する空想とからめてしまう、作者特有の方法がなんとも不思議な作品だ。

たとえば主人公である作者は、死んだ友人と生前交換していたテープ録音を再生しては、死者との対話をさらにつづけるのだ。その過程でしだいしだいに自死直前の心理があきらかになるが、そのまま物語は少年時代、四国山中での国粋主義集団との交流にまで遡り、作者と友人が共有する決定的な体験が語られる。その体験で友人(伊丹十三)は、美しい少年から、外の世界とテロルにふれた者として変わってしまったのだ。取り替えられた子供だったのだ。物語は終盤センダリックの絵本に登場する、悪鬼に取り替えられた子供のはなしと連関して終わるが、まんまと作者にだまされて読まされてしまった。
心地よく騙された気がするのは、やはり圧倒的な事件性を持つ現実と、夢幻的な想像力との融合があるからで、その空想のスタイルがすなわち作家の思想であり、意識的な部分ではテーマでもあるわけだが、それがこんなふうに出来上がっているところがただごとではない。

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