漫画家まどの一哉ブログ
読書「素粒子」
ミシェル・ウェルベック作
ヒッピーイズムにとち狂った母親に見捨てられて育った異父兄弟ブリュノとミシェルの人生。兄ブリュノは人生のすべてを性的快楽に賭ける男。彼が選んだのは60年代以降、一部に受け継がれるニューエイジ系フリーセックスのサークルだった。
かたや弟のミシェルは分子生物学の分野で多大な業績を上げる学者となるのだが、女性との関係はかなり淡白で実りの薄い者であった。
兄ブリュノが性的快楽を追い求める姿とセックスシーンが何度もくりかえされ、自分にとってはいささか辟易だったが、やがて分子生物学者である弟ミシェルの虚無的な人生が描かれてくると、ページを閉じられなくなった。
ところどころ全く容赦のない物理・生物学の記述が混じり、その整然とした理知的な文体が、登場人物のうごめきあがく様を冷徹に描いていて引き込まれる。兄弟ふたりとも中年を過ぎて、ようやく理想の女性にめぐりあうが、その女性は二人とも非業の死を遂げ、人生とはこんな者だったのかという失望と落胆がありありと解る。しかしそれは我々にとって、ごくありふれたことである。
ミシェル・ウェルベック作
ヒッピーイズムにとち狂った母親に見捨てられて育った異父兄弟ブリュノとミシェルの人生。兄ブリュノは人生のすべてを性的快楽に賭ける男。彼が選んだのは60年代以降、一部に受け継がれるニューエイジ系フリーセックスのサークルだった。
かたや弟のミシェルは分子生物学の分野で多大な業績を上げる学者となるのだが、女性との関係はかなり淡白で実りの薄い者であった。
兄ブリュノが性的快楽を追い求める姿とセックスシーンが何度もくりかえされ、自分にとってはいささか辟易だったが、やがて分子生物学者である弟ミシェルの虚無的な人生が描かれてくると、ページを閉じられなくなった。
ところどころ全く容赦のない物理・生物学の記述が混じり、その整然とした理知的な文体が、登場人物のうごめきあがく様を冷徹に描いていて引き込まれる。兄弟ふたりとも中年を過ぎて、ようやく理想の女性にめぐりあうが、その女性は二人とも非業の死を遂げ、人生とはこんな者だったのかという失望と落胆がありありと解る。しかしそれは我々にとって、ごくありふれたことである。
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映画(mixi過去日記より)
「ピアニストを撃て」
フランソワ・トリュフォー監督
シャルル・アズナヴール主演
場末の酒場でピアノを弾く主人公。実は新進ピアニストとして一世を風靡した過去を持つ男だった。ある日突然、兄弟の犯した犯罪に巻き込まれて、追われる身となってしまう。かつて彼が妻を失うに至った悲劇とは?。そして新しい恋人との逃避行の果て、雪の中の静かな銃撃戦の結末は?
ギャングが嫌いなトリュフォーが世に放った2作目は、以外や以外、犯罪小説を原作に描いたサスペンス。とはいってもサスペンス感やスリル感はまるでなし。謎もない。追っ手の強盗二人組もまぬけな凡人で、主人公の兄や、酒場の主人も男達はみんな欲望に忠実なダメなヤツ。女は全員魅力的。だが男も女もサスペンスを盛り上げるためのカッコイイやつではなく、貧乏で平凡で切ないやつらばかりだ。その描き方がさりげなく、くどい演技がなくて気持ちよかった。
ここら辺りがトリュフォーたる所以か。よくしらないけど…。
「ピアニストを撃て」
フランソワ・トリュフォー監督
シャルル・アズナヴール主演
場末の酒場でピアノを弾く主人公。実は新進ピアニストとして一世を風靡した過去を持つ男だった。ある日突然、兄弟の犯した犯罪に巻き込まれて、追われる身となってしまう。かつて彼が妻を失うに至った悲劇とは?。そして新しい恋人との逃避行の果て、雪の中の静かな銃撃戦の結末は?
ギャングが嫌いなトリュフォーが世に放った2作目は、以外や以外、犯罪小説を原作に描いたサスペンス。とはいってもサスペンス感やスリル感はまるでなし。謎もない。追っ手の強盗二人組もまぬけな凡人で、主人公の兄や、酒場の主人も男達はみんな欲望に忠実なダメなヤツ。女は全員魅力的。だが男も女もサスペンスを盛り上げるためのカッコイイやつではなく、貧乏で平凡で切ないやつらばかりだ。その描き方がさりげなく、くどい演技がなくて気持ちよかった。
ここら辺りがトリュフォーたる所以か。よくしらないけど…。
音楽というのは、ただいろんな高さの音が連なっているだけなのに、聴いて悲しかったり、楽しかったりする実に不思議なものだ。これこそ純粋芸術というやつか?たとえば現代のピアノ曲の中には、その一つ一つの音の関係が、純粋に美しいものがある。感情ですらない。
それにくらべて言葉というのは全く具体的なもので、歌の文句はいやでも生々しい人生の局面が反映される。青春もあるし、恋愛もある。
この正反対とも思える音と言葉を、同時に鑑賞するのが自分には至難のわざというのが前回の日記の話で、そういう人も多いようだ。
さて別の話。
青春時代に親しんだ曲を、宝物のように愛し続けて、もうそれ以降のミュージックシーンとやらは、興味が持てないよ。という人も世間には多くて、それはそれで幸せ。ただ新しい曲をいくら聴いても、「やっぱり昔のお気に入りが一番」となってしまうのは、もったいない話だなとも思う。
その点、自分のように砂を噛むよなショボイ青春を送った者は、あまり人生と音楽が絡んでないから自由だ。なんでも聴きます。でもサカナクショ…とか申請カマッテチャ…とかだけじゃ追いつかないけどね。ジョン・ケージのピアノ曲がとっても美しいのは人生を遠く離れるからだという気がします。
それにくらべて言葉というのは全く具体的なもので、歌の文句はいやでも生々しい人生の局面が反映される。青春もあるし、恋愛もある。
この正反対とも思える音と言葉を、同時に鑑賞するのが自分には至難のわざというのが前回の日記の話で、そういう人も多いようだ。
さて別の話。
青春時代に親しんだ曲を、宝物のように愛し続けて、もうそれ以降のミュージックシーンとやらは、興味が持てないよ。という人も世間には多くて、それはそれで幸せ。ただ新しい曲をいくら聴いても、「やっぱり昔のお気に入りが一番」となってしまうのは、もったいない話だなとも思う。
その点、自分のように砂を噛むよなショボイ青春を送った者は、あまり人生と音楽が絡んでないから自由だ。なんでも聴きます。でもサカナクショ…とか申請カマッテチャ…とかだけじゃ追いつかないけどね。ジョン・ケージのピアノ曲がとっても美しいのは人生を遠く離れるからだという気がします。
読書(mixi過去日記より)
「閉ざされた城の中で語る英吉利人」
ピエール・モリオン作
ピエール・モリオンとは仮名で実はフランス暗黒文学の旗手マンディアルグの筆になる、奇想エロティック小説。
ブルターニュ地方のとある海岸から、引き潮時のみ道路を伝って往けるガムユーシュ城。招待を受けて投宿することとなった主人公は、城内で日に夜を継いで繰り広げられる性の狂乱に参加することになる。城主に命じられるがままに、破天荒で残虐な性行為に没頭する数名の女と黒人男。そのシュールな空想世界が美文によって構築されていく。 ではその一節。
哀れなエドモンド!皆んなの顔がお前の臀を覗き込んでいた。
誰もがお前の苦痛の一部始終を見逃すまいと、そしてお前の叫び声が咽喉をかき切られた獣の喘ぎに変わっていき、体内のおそろしいやけどで、少しずつ、お前が意識を失い、お前の肉体が生々しい屍体に似た白堊のようなふやけた外観を帯びてゆくあいだ、私たちはおまえの尻たぶの間から血と水気の混った一筋の液体が流れ出て、寝椅子の布を濡らしていくのを眺めていたのである。
てなかんじ。じつは自分はシュールや幻想文学は大好きだが、その仲間の「血と薔薇」的な残酷とエロスの世界はちょっと苦手で、薄い文庫本ながら読了するのにだいぶかかったよ。ほな、読まんかったらええやん!。
(生田耕作訳・中公文庫)
「閉ざされた城の中で語る英吉利人」
ピエール・モリオン作
ピエール・モリオンとは仮名で実はフランス暗黒文学の旗手マンディアルグの筆になる、奇想エロティック小説。
ブルターニュ地方のとある海岸から、引き潮時のみ道路を伝って往けるガムユーシュ城。招待を受けて投宿することとなった主人公は、城内で日に夜を継いで繰り広げられる性の狂乱に参加することになる。城主に命じられるがままに、破天荒で残虐な性行為に没頭する数名の女と黒人男。そのシュールな空想世界が美文によって構築されていく。 ではその一節。
哀れなエドモンド!皆んなの顔がお前の臀を覗き込んでいた。
誰もがお前の苦痛の一部始終を見逃すまいと、そしてお前の叫び声が咽喉をかき切られた獣の喘ぎに変わっていき、体内のおそろしいやけどで、少しずつ、お前が意識を失い、お前の肉体が生々しい屍体に似た白堊のようなふやけた外観を帯びてゆくあいだ、私たちはおまえの尻たぶの間から血と水気の混った一筋の液体が流れ出て、寝椅子の布を濡らしていくのを眺めていたのである。
てなかんじ。じつは自分はシュールや幻想文学は大好きだが、その仲間の「血と薔薇」的な残酷とエロスの世界はちょっと苦手で、薄い文庫本ながら読了するのにだいぶかかったよ。ほな、読まんかったらええやん!。
(生田耕作訳・中公文庫)
音楽は人並みにいろいろと聴いてきたが、昔から分かっていることがひとつあって、自分は楽曲と同時に歌詞内容を聞き取れない人間だ。これは日本語で歌われている曲の話だが、もちろん音は耳というか、脳に入ってきているのだけど、それはあくまで音階であって、言葉の意味内容を把握できていない。
つまり音と同時に意味を認識することが苦手で、歌声は楽器のひとつとしての役割となってしまう。音楽を聴いている時に、言語脳が働かないらしい。
だからたいていの曲は日本語でなくてかまわない。ていうか、曲のメッセージを聴いて、曲を気に入るということがなくて、あくまで楽曲のおもしろさで選んでいる。もともと自分の人生と音楽を絡み合わせるタイプではないのも、その辺に理由がありそうだ。(この項つづく)
つまり音と同時に意味を認識することが苦手で、歌声は楽器のひとつとしての役割となってしまう。音楽を聴いている時に、言語脳が働かないらしい。
だからたいていの曲は日本語でなくてかまわない。ていうか、曲のメッセージを聴いて、曲を気に入るということがなくて、あくまで楽曲のおもしろさで選んでいる。もともと自分の人生と音楽を絡み合わせるタイプではないのも、その辺に理由がありそうだ。(この項つづく)
mixi過去日記より
アウトロー
手塚はアウトロー描けてないな。当然、極道者や社会の底辺にいる人々が登場するが、リアリティないですね。なにか人間のヨゴレを感じない。先ず画質がキレイすぎるのもあるけど、手塚の育ちがそうさせるのか、滲み出るものがない。キャラクターシステムの延長なのか、ヤクザが登場する必要があるから、役者がヤクザの役をやっているにすぎない。やはりストーリーを進行させるためだけのセリフしかしゃべらない。エンターテイメントだから仕方ないか…。
つげ忠男は与太者やアウトローの何気ない日常を描いて、迫真のリアリズムを持つ。これは作者の経験にもよるけど、人間観や資質に大いに左右される。手塚なりの人間への絶望を読みたい。
アウトロー
手塚はアウトロー描けてないな。当然、極道者や社会の底辺にいる人々が登場するが、リアリティないですね。なにか人間のヨゴレを感じない。先ず画質がキレイすぎるのもあるけど、手塚の育ちがそうさせるのか、滲み出るものがない。キャラクターシステムの延長なのか、ヤクザが登場する必要があるから、役者がヤクザの役をやっているにすぎない。やはりストーリーを進行させるためだけのセリフしかしゃべらない。エンターテイメントだから仕方ないか…。
つげ忠男は与太者やアウトローの何気ない日常を描いて、迫真のリアリズムを持つ。これは作者の経験にもよるけど、人間観や資質に大いに左右される。手塚なりの人間への絶望を読みたい。
映画(mixi過去日記より)
「欲望(BLOW-UP)」
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
主人公のカメラマンが公園で撮った男女の逢い引きシーンに、偶然死体らしきものが写り込んでいる。
夜、公園に駆けつけてみると、倒れていたのは逢い引きしていた男だった。この時点で既に時間がパラレルになっているが、世が明けて再びカメラを持って出向くと、死体は跡形もなく消えていた。
といったミステリアスな箇所は全体の四分の一くらいで、その他は60年代ロンドンのポップカルチャーシーンが描写される。往来で無軌道に騒ぐパントマイム姿の若者達、マリファナパーティー、ヤードバーズ、最新モデル撮影などなど…。
キーとなる殺人事件の遠くをぐるぐる回って、謎は未解決のままという、通常のエンターテイメントなら絶対ありえない構成。だがほとんど無音に近い状態で進行するため、かえって緊張感がある。
漫画だったら、この長編にGOを出す編集者はいるのだろうか?
「欲望(BLOW-UP)」
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
主人公のカメラマンが公園で撮った男女の逢い引きシーンに、偶然死体らしきものが写り込んでいる。
夜、公園に駆けつけてみると、倒れていたのは逢い引きしていた男だった。この時点で既に時間がパラレルになっているが、世が明けて再びカメラを持って出向くと、死体は跡形もなく消えていた。
といったミステリアスな箇所は全体の四分の一くらいで、その他は60年代ロンドンのポップカルチャーシーンが描写される。往来で無軌道に騒ぐパントマイム姿の若者達、マリファナパーティー、ヤードバーズ、最新モデル撮影などなど…。
キーとなる殺人事件の遠くをぐるぐる回って、謎は未解決のままという、通常のエンターテイメントなら絶対ありえない構成。だがほとんど無音に近い状態で進行するため、かえって緊張感がある。
漫画だったら、この長編にGOを出す編集者はいるのだろうか?
まもなく参院選が公示されるが、自分の住む街ではつい昨日まで市議選の真っ最中で、今日が投票日だ。その市議選だが、あいも変わらぬ街宣車による名前の連呼で、うるさいことこの上なかった。単なる名前の連呼など、なんの意味があるのかと言われ続けているが、自分が小学生の頃からまったく変わっていない。ということは、この方法が一番効果があって、他にないのだ。
不思議なのはそんな選挙運動のさなかでも、選挙のプロによると候補者が今、当落ラインのどのあたりにいるか、正確に分析できるらしいことだ。民意といわれてもバカにされた話。
しかし皆が皆、候補者の制作内容を聞き、吟味し、あるいは論を闘わせ、闘わせるにあたっては相手の意見を良く聞き、自分でも熟考し、冷静に清き一票を投じるかといえば、そんなことは絶対にない。
したがって大音によって名前を有権者の脳内に刻み込むのが、いちばん有効な選挙活動。また投票日が近づくと「必ず投票にいきましょう」コメントのみが乱発される。これが正しい代議制というものである。
不思議なのはそんな選挙運動のさなかでも、選挙のプロによると候補者が今、当落ラインのどのあたりにいるか、正確に分析できるらしいことだ。民意といわれてもバカにされた話。
しかし皆が皆、候補者の制作内容を聞き、吟味し、あるいは論を闘わせ、闘わせるにあたっては相手の意見を良く聞き、自分でも熟考し、冷静に清き一票を投じるかといえば、そんなことは絶対にない。
したがって大音によって名前を有権者の脳内に刻み込むのが、いちばん有効な選挙活動。また投票日が近づくと「必ず投票にいきましょう」コメントのみが乱発される。これが正しい代議制というものである。
読書(mixi過去日記より)
「王様の花嫁」
ホフマン作
海外古典幻想文学の重鎮、というかボクの大好きなE・T・A ホフマンは数編のファンタジーを書いているが、そのうちのひとつがこれ。
ホフマンの書いたファンタジーと言えば、バレエ「くるみ割り人形」として有名な「くるみ割り人形と鼠の王様」があるが、これも同様に奇妙奇天烈なお話。野菜の栽培に熱心な主人公の娘は、ある日畑で抜いた人参に嵌まった指輪を拾うが、それは野菜の精(妖怪)からの婚約指輪だった。占星術に凝った父親の進めもあって、娘は人参の王様に嫁入りしようとするが、野菜の豪華宮殿と思わされていたものは実は…云々といったストーリー。でもこの設定どこかで聞いたような気がするのは、やはり絵本や児童文学に翻案されているのでしょう。
ちなみに「くるみ割り人形」の方は子どもの頃、少年少女世界名作文学全集で読んで、なんとも不気味な印象を持ったが、齢長じて大人用を読んでみても、その印象は変わらなかった。
ちなみにホフマンの他の著作はファンタジーではなく、頭をくらくらさせる真性幻想文学であります。
「王様の花嫁」
ホフマン作
海外古典幻想文学の重鎮、というかボクの大好きなE・T・A ホフマンは数編のファンタジーを書いているが、そのうちのひとつがこれ。
ホフマンの書いたファンタジーと言えば、バレエ「くるみ割り人形」として有名な「くるみ割り人形と鼠の王様」があるが、これも同様に奇妙奇天烈なお話。野菜の栽培に熱心な主人公の娘は、ある日畑で抜いた人参に嵌まった指輪を拾うが、それは野菜の精(妖怪)からの婚約指輪だった。占星術に凝った父親の進めもあって、娘は人参の王様に嫁入りしようとするが、野菜の豪華宮殿と思わされていたものは実は…云々といったストーリー。でもこの設定どこかで聞いたような気がするのは、やはり絵本や児童文学に翻案されているのでしょう。
ちなみに「くるみ割り人形」の方は子どもの頃、少年少女世界名作文学全集で読んで、なんとも不気味な印象を持ったが、齢長じて大人用を読んでみても、その印象は変わらなかった。
ちなみにホフマンの他の著作はファンタジーではなく、頭をくらくらさせる真性幻想文学であります。
オーソドックスなブログを始めました。
mixiでは告知、twitterは瞬間的なつぶやき、そしてここでは、できるだけ脳内だだもれにしたい。その脳内であるが、当然我が儘な内容であるはずだ。
自分はむかしから系統だった学習が苦手で、カリキュラムに乗っ取って履修していって、一定の成果に至るといったようなことは、普通免許と水泳教室くらいしか経験がない。いわゆる学校の勉強といったものは退屈の最たるもので、ついぞ勉強しなかったが、大人に成ってからも「ああ若い時ちゃんと勉強しとけば良かったなあ」などと後悔したことも一度もないので、人それぞれと思う。
それだけ興味本位、つまみ食い形式でものごとを見ているので、脳内露出といってもそんな、自分勝手なものになるはずであ〜る。
mixiでは告知、twitterは瞬間的なつぶやき、そしてここでは、できるだけ脳内だだもれにしたい。その脳内であるが、当然我が儘な内容であるはずだ。
自分はむかしから系統だった学習が苦手で、カリキュラムに乗っ取って履修していって、一定の成果に至るといったようなことは、普通免許と水泳教室くらいしか経験がない。いわゆる学校の勉強といったものは退屈の最たるもので、ついぞ勉強しなかったが、大人に成ってからも「ああ若い時ちゃんと勉強しとけば良かったなあ」などと後悔したことも一度もないので、人それぞれと思う。
それだけ興味本位、つまみ食い形式でものごとを見ているので、脳内露出といってもそんな、自分勝手なものになるはずであ〜る。