漫画家まどの一哉ブログ
「心はどこにあるのか」 デネット
読書
「心はどこにあるのか」
ダニエル・C・デネット 著
志向性という哲学用語を基礎にしているのか、「志向的」システムというのがキー概念になっている。この用語に不慣れなので、文中でも触れられていた「意図的な」という言葉で代用して考えるとズバリではないがなんとなく分かった気になれる。また知覚という概念も幅広いので、植物や動物のどの程度のものを知覚とよんでいるのか迷ってしまった。
なるほど考えてみれば動物は言葉を持っていないので、意識があるにしても我々人間からはどんなものなのか類推できない。動物は例えば逃げている時に「自分は逃げている」とは考えていないと言われるとあらためて驚く。微生物からチンパンジーまで脳が進化するにしたがってだんだんと主体や意図というものが発達してくる段階が手に取るように分かっておもしろい。
ながながとそんな話があって、さて「心はどこにあるのか」というと結論はない。だが確かにどこかに全てを統括して意識している中心的な「心」の存在を考えるのではなく、「心」はいろいろな部分の積み重ね全体であることがわかってくる。
「心はどこにあるのか」
ダニエル・C・デネット 著
志向性という哲学用語を基礎にしているのか、「志向的」システムというのがキー概念になっている。この用語に不慣れなので、文中でも触れられていた「意図的な」という言葉で代用して考えるとズバリではないがなんとなく分かった気になれる。また知覚という概念も幅広いので、植物や動物のどの程度のものを知覚とよんでいるのか迷ってしまった。
なるほど考えてみれば動物は言葉を持っていないので、意識があるにしても我々人間からはどんなものなのか類推できない。動物は例えば逃げている時に「自分は逃げている」とは考えていないと言われるとあらためて驚く。微生物からチンパンジーまで脳が進化するにしたがってだんだんと主体や意図というものが発達してくる段階が手に取るように分かっておもしろい。
ながながとそんな話があって、さて「心はどこにあるのか」というと結論はない。だが確かにどこかに全てを統括して意識している中心的な「心」の存在を考えるのではなく、「心」はいろいろな部分の積み重ね全体であることがわかってくる。
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