漫画家まどの一哉ブログ
読書
「アムステルダム」 イアン・マキューアン 作
功成り名を遂げた男たちが主人公。有名作曲家や大新聞の編集長、外務大臣まで登場。ある社交界の花形女性が急逝したあとに発見されたプライベート写真。これが大臣や編集長を失脚にまで追い込む大スキャンダルとなる。最後には相互殺人事件まで起きてしまうというサービス付き。
短いせいもあってなんとなく最後まで読んでしまったが、なにやらテレビドラマを見ているような気がした。我々のようなどこにでもいる半善人で構成された俗世間を舞台に、そのモラルが思わぬ形で崩壊していく狂気を描いたものらしいが、そういった崩壊は狂気ではなく単なる失敗ではないかしらん。
社会的地位のある人間ばかりが登場するが、この場合事件とはその地位が脅かされて失われることである。地位が失われざるを得ない行動をとっているから仕方がないのだが、読者は「なるほど成功者であっても転落することもあるのだなあ」と思うだろう。登場人物の内面ももっぱら仕事に関する悩みが中心である。しかしこの種の揺らぎや崩壊は誰にでもわかることであって、それなら何故わざわざ書いてあるのかと感じる。
たとえば主人公の一人である作曲家は新曲のインスピレーションを得るために、一人で湖水地方を山歩きするが、それも曲作りの悩みと心のリラックスと事件に対するもやもやをくりかえしているだけで、なんということはない平凡さだ。もちろん才能ある作曲家の創作の秘密などめったに追体験出来ることではないが、これも大新聞の編集長が仕事の上で悩むのと同じレベルでしか書いていない。
これが梅崎春生「幻化」のように、阿蘇山周辺を歩くときの得体の知れない不安や虚無感があると物語の読みがいもあるというもので、つまり読者誰もが納得できることではないことが自分は好きということです。