漫画家まどの一哉ブログ
日常日記1118
そろそろ次の短編の構想を練ろうとは計画するも、今日はまったく空想の羽が広がらなかった。得意先に行ったりして、終わりなき日常に追われていた。日常というものはさすがに変化に乏しいものだ。平凡な幸せがあるのは分かるが、その平凡な喜怒哀楽から一歩引いている自分がいる。人間はただの存在ではなく、自意識を持った存在だが、全宇宙から見れば、結局それがどうしたという気はする。
ところで漫画ネタの空想だが、昨日など久しぶりに子供の頃の自由な空想感覚を思い出した。これは楽しいもんだが、親に保護されている状態なので、確実に甘えが入っている。したがってこの感覚は楽しいようで、実は不毛なのである。
自分はオタクというものは、この子供時代の温室的空想の心地よさから痛手をあまり受けていない、挫折していない人達だと思っている。なんとも不思議なものだ。
つまり漫画の楽しさというものは、苦いけど旨いといったようなもので、甘さも楽しさだけど、そこは誰しも多少なり屈折しているものを味わいたいところじゃないか?と自身のポジションを確認。
ところで漫画ネタの空想だが、昨日など久しぶりに子供の頃の自由な空想感覚を思い出した。これは楽しいもんだが、親に保護されている状態なので、確実に甘えが入っている。したがってこの感覚は楽しいようで、実は不毛なのである。
自分はオタクというものは、この子供時代の温室的空想の心地よさから痛手をあまり受けていない、挫折していない人達だと思っている。なんとも不思議なものだ。
つまり漫画の楽しさというものは、苦いけど旨いといったようなもので、甘さも楽しさだけど、そこは誰しも多少なり屈折しているものを味わいたいところじゃないか?と自身のポジションを確認。
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