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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「取り替え子(チェンジリング)」
大江健三郎
 作

作者大江健三郎と俳優であり映画監督であった伊丹十三とは、四国松山時代からの旧友であり、また伊丹の妹を妻に持つ作者にとって、伊丹十三は義兄でもある。その伊丹十三の有名な飛び降り自殺事件をモチーフに、もちろんすべて作中の人物としての仮名で書かれた小説。
といっても事件のなぞを振り返るドキュメンタリー小説ではなく、現実を現実のまま強固に残しながら、氾濫する空想とからめてしまう、作者特有の方法がなんとも不思議な作品だ。

たとえば主人公である作者は、死んだ友人と生前交換していたテープ録音を再生しては、死者との対話をさらにつづけるのだ。その過程でしだいしだいに自死直前の心理があきらかになるが、そのまま物語は少年時代、四国山中での国粋主義集団との交流にまで遡り、作者と友人が共有する決定的な体験が語られる。その体験で友人(伊丹十三)は、美しい少年から、外の世界とテロルにふれた者として変わってしまったのだ。取り替えられた子供だったのだ。物語は終盤センダリックの絵本に登場する、悪鬼に取り替えられた子供のはなしと連関して終わるが、まんまと作者にだまされて読まされてしまった。
心地よく騙された気がするのは、やはり圧倒的な事件性を持つ現実と、夢幻的な想像力との融合があるからで、その空想のスタイルがすなわち作家の思想であり、意識的な部分ではテーマでもあるわけだが、それがこんなふうに出来上がっているところがただごとではない。

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読書(mixi過去日記より)
「予言者の名前」
島田雅彦
 作

オウム事件が合った頃は、カルト教団を材料に宗教の問題を扱った作品が多くあった様な気がする。
自分はそのちょっと前から、それっぽいハナシを考えて「クイックジャパン」に幾つか発表したが、世の中みんなやりだしたのでイヤになってやめた。
それでもカルトや宗教は、基本的に興味のある題材なので、古本屋でこんなものを見つけると、短いものだしちょっと読んでみようかと思う。

宗教の世俗化が進んでいて、わりとどの宗教からも等距離でいられる日本人ならではの視点で描かれた宗教小説。ワタルとムルカシという二人の宗教家(予言者)が、既存の宗教的立場に次々と疑義を投げかける。その内容が観念的な言葉でそのまま語られる。
といっても、小説だから難しい論理を展開する訳ではないが、いわゆる生活や風景の描写など、ふつうの小説で描かれる様な部分はほとんどない。したがって面白いことは面白いが、登場人物に自分を重ねたりして味わうことはできません。短ければこんなのもあり。

文庫本は巻末に中沢新一の解説がついているが、これがよかった。ただし島田雅彦を誉め過ぎ。島田雅彦は求道者とは真逆の、フツーのインテリオヤジという印象が自分にはある。

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巻頭三好吾一作品「城山」。なにげない日常を丁寧に描くという作品は、ときどき世の中にあるが、難しいものだ。事件らしいことは何も起こらないから、読ませる技術がなければとうぜん退屈なものになる。その読ませるテクニックをこの作家はもっていて、その秘密は情景描写にあり、無言ではあるが語りかけてくるコマの連続である。遠景と近景のリズムがあって、セリフやナレーションが無いのが心地よく読めた。

情景描写は、写真の中間色を忠実に斜線に置き換えている。むかし漫画があまり資料写真に頼らずに描かれていた頃、木は木、石は石、雲は雲の意味を持った記号で構成されていた。よくみれば、近世日本画の世界などもこの記号的方法で描かれていて、自分などもこの延長で苦心している。
そんな自分から見れば、三好作品の描線は非常に魅力的な世界である。

で、話は主人公が実家で一日を過ごすというだけのものであるが、クライマックスは城山から街を遠望するところであろう。それがどうしたと言われればそれだけのことだ。母親との会話も含めて、さらに迫真的なところを読みたい。日常も分野は違うが庄野潤三レベルまで描き込んでいけば、のっぴきならないものになる。日常とは実はこういうものだという漫画でしか味わえないものを読みたい。

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読書(mixi過去日記より)
「富士」
武田泰淳
 作

戦時下、富士山麓にある精神病院。国家総動員時にお国の役にたたない患者達と、愛を持って看病にあたる医師・看護士達の物語。
とはいってもリアリズム小説ではなく、登場する個性豊かな患者達の病状は全く作者の創造で、自分が宮様であると信じる元精神科医、一言も言葉を発せず、哲学的ノートを綴る少年、自分の育てた伝書鳩を待ち続ける男、研修医の子種を宿したとふれ回るキリスト者などなど…。

異常者・正常者の枠を取り払った、極めて強烈なキャラクター達が、滔々と思念的弁舌をふるう、グロテスクな魅力に満ちた観念小説。だが、単なる思弁小説でないのは、次々と巻き起こる事件に沿って話が進むからであって、例えば鳩を求めて煙突に上る男・院長宅襲撃・股間に下げた懐中電灯を男根に見立てて医師を襲う女・宮様のつもりで皇室に接触する元精神科医・放火・殺人など、正に異常事態しか出現しない。

もともとこの精神病院の設定自体が、リアリズムならぬシュールレアリズムの世界で、戦時下の一般社会とはかけ離れた、「スミヤキストQ」が忍び込んだ癲狂院のようなものとなっている。

まさに小説という分野ならではの面白さで、実際日常会話でべらべらと神学的哲学的思念を披瀝することは滅多にないし、漫画では考えられないネーム量になってしまう。映画もしかり。それが気にせずスラスラ読めてしまうのが、小説が言葉の芸術たる所以なんだろうな。

●たとえ漫画でもこれが俺にはできないんですよ。いや、たとえナレーションであっても、言葉で説明するのができないの。漫画の中で言葉に独立した役割を与えられないんです。
人物の行為の補足として「しまった」とか「よし行くぞ」とか、あるいは日常会話の「2万ほど、なんとかならない?」とか「なんだ、先行ったと思ってたよ」とか、そんなです。
友人の斎藤種魚、西野空男など「架空」派漫画家には観念的な言葉をうまく使う人が多い。

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映画(mixi過去日記より)
「街のあかり」
監督 アキ・カウリスマキ


警備員として働く主人公は、容易には他人と交わらない孤独な男。いつの日か起業家として成功する夢を見ていたが、ある日近づいてきた女に心を許し、まんまと犯罪に利用されてしまう。それでも、彼は警察に口を割らず、孤独な魂を抱えたまま、服役。そして出所。復讐のチャンスもさらなる敗北へつながって行く。

主人公が全く感情を表に出さない。自分の周りに壁を作って生きている性格。したがって話も淡々と進む。必要最小限の道具立て、少ないセリフなど、抑制された表現が心地よかった。
セリフのないシーンが連続する中で、ときどき人物を正面からとらえて、スーッとややアップするのがおもしろい。不思議な意味付けが生まれる。
食事や飲み物が、ほとんど一口つけただけで、おしまいにされていた。

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読書mixi過去日記より
「神は妄想である」宗教との決別
リチャード・ドーキンス
 著

生物学の世界的権威、かのドーキンスが書いた警世の書。かつて有名な利己的遺伝子説に触れたときは、どうももうひとつ納得いかなかったが、この本はいい!俺は快哉を叫ぶ。

それにしても西欧社会、とくにアメリカにおける聖書原理主義による病理には恐ろしいものがある。物心つかない幼い頃に、教え込まれる聖書の非合理と迷信が、大人になってもいかに精神を縛り続けるか。進化論を否定し、地獄の存在におびえ、子どもにたった一つの価値観を強要し、異教徒を悪魔視して顧みない。そして、敬虔な宗教者というだけで罪は目こぼしされ、反対に無神論者というだけで忌み嫌われるという矛盾。
また自爆テロに走るイスラム原理主義者が、報復感情ではなく、天国を夢見ているという恐ろしさ。

いま、ようやく無神論者は声をあげるべき秋である。
戦う生物学者ドーキンスは、容赦がない。科学と宗教は全く相容れない分野であるから、おたがい踏み込むことはせずに、共存しよう。という一見平穏な立場に意義を唱え、神の問題は正しく科学の課題であること、そして論証を積み重ねることにより、神の存在を否定することの重要性を説く。
また、地球上の生物の偶然とはとても考えられない多様性を、誰か(神)が設計したものと考える、いわゆるインテリジェントデザイン説は、進化論(ダーウィニズム)を知らない蒙昧であることを教える。
そしてそして道徳のよってきたる所以は宗教ではなく、時代精神の反映によるというところまで。
いいぞドーキンス!がんばれドーキンス!

現在世界中で勢力を増す宗教原理主義が、いかにテロと戦争をまきおこしているか。うれしいことにこの本はアメリカでベストセラーとなったそうだ。この先、世界中の宗教の世俗化にちょっとは希望が持てるのか?

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読書「徳田秋声の周囲」
川崎長太郎
 作

婦人を亡くして憔悴する文壇の重鎮徳田秋声。師を慰めるため集まった門下の中に、長太郎と年かさの女順子がいた。その順子に親しげに近づかれる川崎長太郎。

私は、反射的に、五体を棒みたいに硬直させました。東京の空気を吸って、既に二、三年経っていますが、まだひと見知り癖も抜けきらない、からきし内気な田舎者でしかありません。
「あなた、お友達になって下さいな。今、私一人で寂しいんです。一寸、世間から身を隠しているというふうなの。__お友達になって下さい。私、とてもフライよ」
中学も満足に行っていない私には、第一「フライ」とは如何なることを意味する言葉か、さっぱりのみ込めかねますし、こんな女の言うことなど、ゆめ真にうけてはなるまいと警戒心怠り亡く、が、その実、_____


この辺の文章がおもしろいなあ。いいなあ。わくわくしながら読みだした。やがて長太郎はこの放蕩文学女子の後をうかうかと追いかけるざまになってしまうのだが、その順子はあっという間に師匠徳田秋声の内縁に納まって、この小説は意外にも川崎長太郎の私小説というより、世間的には老醜をさらす徳田秋声のスキャンダル報告みたいになってしまった。これがまた面白い。といっても残された子供たちとの家庭が破壊されたあげく、女に捨てられるといったよくある内容。それでも愉しく読めればなんでもオッケー。

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読書mixi過去日記より
「白い果実」
ジェフリー・フォード作
(2004年 国書刊行会)

1998年世界幻想文学大賞受賞作。
独裁者ビロウが支配する理想形態都市(ウェルビルトシティ)。主人公の一級観相官クレイはビロウの命を承けて、辺境の鉱山の街アナマソビアへ赴く。この世の楽園に実るという「白い果実」を手に入れるために…。

予備知識無しで読みだして、始めて気付いた。これってエンターテイメント!
娯楽の王道を行くストーリー構成。ちゃんと怪物との戦闘シーンなんかもあって笑ってしまう。だが、スパイア鉱石を掘り続けたあげく青く石化する人々。人間の外見・体格などを精密に観測し、性格・能力までも決定する観相学。人間並みに進化させられた猿の管理人、などなど、繰り広げられる空想的イメージがただごとではない、奇想文学の怪作!

冒険ファンタジーといっても流行っているものには、RPGの世界でおなじみのネタが多いが、既成のイメージに浸って安心してると、脳が劣化するんじゃないかと思う。未知の空想世界に独力でついていかなければ。

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mixi過去日記より
デフォルメと記号

手塚の脳にはむかし漫画が獲得した、ギャグのためのデフォルメが自然と染み付いていて、のがれられなかったかもしれない。極端に怒るとか、泣叫ぶとかの場面でまだ出てくる。笑いのためのシーンならまあ許せるけど、かなりシリアスなシーンで使われると、残念な気持ちになる。例えば別れの盃を酌み交わすときに、大口へ上から滝のように落としこむなど…。

手塚は自分の漫画を記号で出来ていると自覚していたようだが、さすがに後期大人向け作品はリアリズムを意識してはいる。ただ記号表現も漫画を描く楽しみのひとつだとは思うので、ボクなんかはもう少し昇華できないかと考えている。岡田史子がやったような表現主義的な方法はひとつの回答だと思うが、岡田史子以外にそれを引き継いだ人間はいない。なかなか出来るもんじゃないか?

でも考えてみたら記号なのはデフォルメされた部分だけじゃなくて、キャラクターもその行動もそのセリフも、全てストーリーを説明するための記号に過ぎないのかもしれない…。まあ全てとは言わないけど、ストーリー性が濃い作品の場合、限られたページ数の中でどうしても読者に説明しなければいけないから、一見記号とは気付かないが、その実記号なのでしょう。それがくり返されるうちに、所謂お約束に発展してしまうのかもしれません。

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映画(mixi過去日記より)
「自転車泥棒」
ヴィットリオ・デ・シーカ監督
 1948年

やっと手にした仕事に使う、大切な自転車。それを盗まれてしまい、幼い息子とともに必死で探すのだが、貧乏人と失業者やヤクザばかりの街で、自転車一台を探すのは全くままならない。ついに自分も他人の自転車に手をかけようとするが…。

前から一度観てみたかったけど、観てよかった。
主人公の奥さんがインチキ臭い占い師にハマっているところなど、ボク好みの設定。特別な感動や涙は感じないが、生活のリアルがそのまま頭に入ってきて、馴染みやすいよ。いつの時代、どこの国でもある話で、困惑する父親を間近に見てこどもは育つもんかなあ。つげ義春の親子モノを思い出した。

個人的には、貧しい人々をそのまま描くことや、波瀾万丈でない日常的な話をリアリズムと呼ぶのは違和感がある。どんな空想的なストーリーでも、また貴族や金持ちの世界を描いても、リアリズムは必要だし、そこで説得力ないとしらけるから。
でも、映画や他の分野でも、貧しい労働者の世界を描くと、リアリズムと言われてきた歴史があるから、納得することにします。今、プロレタリア文学読んでるし。

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