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漫画家まどの一哉ブログ

   

読書

「無限の網」草間彌生自伝

 

初期草間彌生はドットばかりではなく、網状に広がる描線で画面を埋め尽くしていた。これが「無限の網」だ。おどろいたことに画家として走り出した当初から、中心のない水玉の反復と増殖という作風で、これは作者の不安・恐怖を解消するためのほかに置き換えられない行為であるようだ。いくら天性の才能と言っても非常に特異な資質だ。

 

またニューヨークではパフォーマンス集団の先頭に立ち、ミュージカルやファッションの企画を進めるなど、社会的には充分適合して渡り合ってゆける人物である。芸術家は創作衝動を作品自体に解消させてしまえば、ほかに人格面で破綻している必要はまったくない。このへんがおおいに勘違いされてはならないところで、創作衝動はたとえそれが狂気を含んだものであろうと、作者にとっては自然と持っているもので、あとはそれを出すだけ。出し切るまではいくらでも描けるし、それ以外の面ではふつうに社会人であって何ら問題はない。

 

結局芸術は自分の都合であり、全ては自己流でやるしかない。つまり草間彌生の自伝を読んで、本人がああしたこうしたと言っていることに他人はまったく口を挟めないのであって、草間彌生本人がそうなんだから仕方がない。嫌いな人は作品を見なければいいだけのことで、気に入る人がどれだけいるかも計算してもしょうがないことである。

 

もし芸術が努力や練習で到達できる世界に過ぎなければものすごくつまらないものとなるであろう。また仮にマーケティングの観点から企画されたとしても、それだけでしかなかったらやはりつまらない。こんなことを思うのも当然自分の属する漫画の世界を少々省みてのことであって、草間彌生の作品内容に誰も口出しできないように、漫画も他人のアドバイスが不可能な個性のほうがうんと面白いよ。

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「風媒花」 武田泰淳 作

 

産声を上げたばかりの社会主義中国。戦後占領期の日本で中国文化研究会の面々を中心に描かれる群像劇。今となっては当時の政治的運動や研究者の苦悩など思い図るすべもないが、小説作品にそういったインテリ層のサークル活動が描かれるのはよくあることで自然ではある。

 

この作品の場合支配者として大陸に君臨した立場から一転敗者として引き上げる身となり、日本帰国後は社会主義中国に理想を追い求める当時の親中インテリ層の複雑な心情を理解することも出来よう。ただしそれをもって作品の第一義的意義とされるのでは作品はだいなしだ。もはや作中人物たちと想いを共有することは不可能な現在、それらのくだりはたいして面白くなく、作品の魅力はもっぱら登場する女性たちの政治性などに無縁な自由さにある。奥さんの武田百合子がモデルとして面白い人なので、パチンコや万引きのシーンなどが抜群に面白い。武田泰淳はとうぜんインテリだが、人間のたわいもない日常を描いたときがてんでインテリ臭くなく、リアルな会話が絶妙であってそれが楽しくて読んでしまう。

 

戦後文学を読んで政治思想史を研究するのもアリだとは思うが、それは19世紀フランス文学を読むとき王党派か自由派かどっちでもいいのと同じで、作中人物がいきいきと動いていればそれでよい。自分は作品を大きな枠組みでは読まずに、仕上がりの細かな技術を味わう趣味なので、視野狭く楽しんでゆきたい。

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「宝島」 スティーヴンスン 作

 

少年文学として子供の頃接することも多いこの作品。実は良く知らないでいたが、大人になって読んでもすこぶる面白い冒険小説の傑作だ。ただ、りんご樽の中に隠れて海賊たちのわるだくみを知るシーンなどところどころ知ってはいた。

 

冒頭から出てくる海賊の一味は、その下劣な人格がよく書けていて実に興をそそる。もちろん自分がしらないだけで、現代のエンターテイメント小説・ピカレスクロマンでも魅力的な悪人はたくさん登場するのだろうが、ここに出てくる海賊の多くはまったく卑しい乱暴者でそれがわくわくする。

唯一ジョン・シルバーだけが海賊の中でも頭のキレる人物で、頭はキレるが平気で人を裏切る卑怯者なのだ。この小説はジョン・シルバーの魅力でほとんど成り立っていると言っても過言ではない。

主人公ジム・ホーキンス少年も小舟で島をめぐって大冒険を繰り広げるが、ふつうの勇敢な少年である。また船長、ドクター、孤島の住人ベン・ガンなど味方の人物はみな理性的で誠実な信用のおける人間でそれだけにつまらない。

翻って海賊はシルバーでさえも計画性のない欲にまみれた乱暴者で、こいつらをリアルに描いたところがこの小説の魅力だろう。なにしろ島での生活を考えれば大切な食料や酒を無計画にどんどん飲み食いしてしまうのだから。こいつらまったく信用おけない。

 

考えてみれば街の利権に絡むヤクザ者vs住人の戦いみたいな話で、宝探しというロマン溢れる設定になっているから子どもでも読めるだけのことかも。現代でも一攫千金の宝をめぐって大人たちはうごめいているのである。

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「幻滅」メディア戦記  バルザック 作

 

バルザックの人間喜劇シリーズの中核となる長編。「メディア戦記」の副題からも分かるとおり、19世紀パリの新聞・出版界を舞台にその腐敗した構造を暴きだす傑作である。主人公はフランスのアングレーム地方に暮らす青年詩人のリュシアン。そして友人のダヴィット。

 

リュシアンの類い稀な文学的才能を理解するのは、田舎では地方貴族のバルジュトン夫人ばかり。これはぜひ夫人の愛人となってパリへ打って出て貴族社会の仲間入りを果たし、作品を上梓して中央文壇へ躍りでないではおくものか。と、この二人が愛情を育んでパリへ打って出るまでのシーンが思いのほか長くてやや退屈したが、もともと独立した作品だったようだ。

 

ところがパリへ出てみると自分たちはしょせん田舎者で、バルジュトン夫人は一応貴族ではあるものの都会のきらびやかな女性たちと比べてあまりにみすぼらしかった。一方天才詩人のはずのリュシアンも一応その文才を認められはするが、ジャーナリズムに使い捨てにされて終わる。

このあたり作者バルザックの若き苦闘の日々が忍ばれる。文学者とジャーナリストでは資質がかなり違うと思うが、同じ文筆という畑で今日でも両者を兼ねて仕事している人は多いかもしれない。

リュシアンはカネ次第で舞台や書評を持ち上げたりこき下ろしたり、自由派についたり王党派についたりと、ジャーナリズムの世界に翻弄されて結果失敗するわけだが、このあたりの駆け引きも読んでいて分かりにくい。それは新聞社を経営する権利や、出版のいろんな形のマージンの取り方などがからむせいで、そのリアルさがバルザックのオモシロさでもあるわけだけれども…。

 

つまりがこの作品はバルザックの得意な経済小説なんである。物語後半はアングレーム地方でのリュシアンの友人ダヴィットとその妻が小さな印刷屋を営む苦労話だが、ダヴィットもリュシアンと同じく商売にはてんで向いていない夢想家で、経営はそっちのけで新しい安価な印刷用紙の開発研究に没頭している。この研究成果と印刷屋の権利を奪うべく、ライバル会社や代訴人などが権謀術数をくりひろげるが、お人好しのダヴィットはたわいもなく引っかかってしまうのだ。このあたりも手形のやりとりなどが頻発して一読では理解できない。自分もこのダヴィットと同じく商売にはてんで向いていないことがわかる。

 

結局バルザックの世界では、人間は欲望のためならなんでもやるし、それは世間の裏側で巻き起こることで、これこそが人類の本当の歴史だということだ。バルザックのオモシロさはここにあります。

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「アポロンの眼」 G・K・チェスタトン 作

推理ファンでなくともなんとなく聞いたことがあるブラウン神父シリーズ。推理小説の古典として今も愛され続けているようだ。このチェスタトンは怪奇幻想文学の類いとしてしばしば登場するので、ミステリーに疎い自分でもこれは読んでみなくてはと挑戦したしだい。なるほどカトリックの立場で書かれているせいか、なんとなく神秘的で古風な味わいはあるが、ポーほどの溢れ出るイメージや狂気はない。少し読んだだけだが、どれも着想はおもしろかった。

 

「奇妙な足音」:小さいながらも特定の客しか入れない高級ホテル。そのレストランに集う12人の客と15人の給仕は、皆おなじような正装をしていて区別がつかない。給仕が一人殺され銀の食器が盗まれた当日、個室にいたブラウン神父は廊下を連続するゆっくりした足音と急いだ足音を聞いたが、これがなりすましを解く鍵となった。

 

「アポロンの眼」:太陽を信仰する新興宗教の教祖。その愛人である利発なタイピストの女性は莫大な財産を所有していたが、教祖がバルコニーから街頭演説している最中に、エレベーターから転落して死んでしまった。あるべきはずのエレベーターはなく、女性は開いたドアから奈落へと踏み込んだのだ。まんまと成功した犯人の罠だったが、肝心の遺言状は何故か文字が消えているのだった。

 

「イルシュ博士の決闘」:スパイ容疑で決闘を申し込まれたイルシュ博士。ところが相手の大佐は決闘を申し込んでおきながら直前に行方をくらます。姿形がまるで正反対のイルシュ博士と大佐。ブラウン神父たちは逃げ出した大佐の後をつけていくが、なんと大佐はイルシュ博士宅に裏庭から入り、鏡の前でその変装を解くと現れたのは…。

 

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「夢宮殿」 イスマイル・カダレ 作

馬車が走る時代のオスマン・トルコらしき国が舞台。そこでは夢に重きが置かれていて、国民が夜ごと見る夢を国家が収集し、選別・解釈して国の行く末にとって予兆となる重要な夢を探り出すのである。それが「夢宮殿」とよばれる巨大な役所の仕事である。叛乱など危険な兆しをはらむ夢を見た者は、長期間監禁されて尋問を受け、最後は死者となって宮殿を出ていくこともあるのだ。

主人公はアルバニア出自の名門一族に連なる身であるが「夢宮殿」に就職し、膨大な夢ファイルを繙く毎日をおくることとなった。ところが主人公が見逃した一つの夢の中に一族が皇帝への反逆を企てるという重大な意味を暗示する夢があり、一族は皇帝から弾圧を受けることとなるが…。

 

カフカを思わせる迷宮的な世界設定がおもしろいが、かといって観念小説ではなくシュールなイメージが横溢するというわけでもない。なにをやっているのか合理性が疑われる役職や、他の役人の不思議な理屈など出てくれば、カフカやベケットや安部公房なのだがそんなことはなく、この夢宮殿のシステムはガッチリ整合的に組まれている。ただこの役所がやたら広くて、主人公が路に迷ってばかりいるのがカフカ的といえばカフカ的だ。

国中の夢を集めて診断するというわりには、具体的な夢の内容描写はわずかしか出てこない。

主人公が役職を登っていくに連れてこの組織の仕組みが解き明かされて行き、また主人公一族の集まりが何やら不安げな様子を漂わして、国家とこの名門との間に事件が起きることが暗示される。という具合にけっこう話が直線的に進んで読みやすかった。これも幻想文学。

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「「死ぬ瞬間」と死後の生」 E・キューブラー・ロス 著

有名な「死ぬ瞬間」シリーズの一冊。

死に行く人々の臨床と精神的なケアの本かと予想していたが、はるかにスピリチュアルな内容だった。著者は精神科医だが主に死を前にした子どもたちに寄添って活動してきたので、具体例は子どもの話が多い。不治の病であと数日で死なざるをえない子どもたちは、皆直感的に自分の死を分かっていて、その態度は恐怖ではなくむしろ運命への悟りと安心である。大人は子どもたちに嘘をついて慰めるのでなく、子どもたちがやり残したことのないように願いを叶えてやらなければならない。

 

さて、死後の世界である。著者によれば人間は繭と蝶のようなもので、この人生は繭の状態であり死によって肉体を離れ、蝶の状態へと孵化するのだ(幼虫は蛹となって成虫へと変化する過程で、胚だけしか残らないのを思い出す)。

著者が集めた2万5千件以上の臨死体験は、我々がよく聞くものとやはり共通していて、死を迎えるにあたって意識は一度肉体を離れ、横たわる自分を見下ろしている。体外浮遊すると自分の近くに導いてくれる存在がいることがわかる。そして先に死んだ肉親たちが迎えにきてくれる。このとき生前会ったことのない人にも会える(親戚が嫌いで会いたくない人もいるだろうに…)。また、肉体を脱ぎ捨てると時間も空間もない場所に入り、思考と同じスピードでどこへでも行けるが、これは砂漠の真ん中や宇宙空間で死んでも同じだ。ケガや病気の状態で死んでも、このときには健常であるらしい。トンネル・川・門・花畑などといった象徴的な形で描写される場所を通って、光の源へ近づいていくが、それは「宇宙意識」と呼ばれるべき霊的エネルギーの世界である。

この「宇宙意識」を体験するのに、修行したりグルに従ったりインドへ行ったりする必要はなく、日常的にマイナスの感情を捨てればよいそうである。

 

こういった内容は一般的によく聞くものだが、著者は日常的に死に臨む人々に接し、様々な経験を積むとともに、自分でも遊体離脱を体験しているので非常に説得力がある。安易なトンデモ本とは格が違う。

この本にはより良く生きるための知恵がたくさん書かれているけれども、自分は死後の生への興味本位で読みました。

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「ニセ札使いの手記」  武田泰淳 作(中公文庫)

武田泰淳異色短編集ということだが、なにが異色なものか王道を行く面白さだ。いわゆる深いテーマを抱えた重厚な作品のみを名作の条件としてしまうと、奇譚・幻想譚の類いはみな傍流に置かれてしまうが、これはセンスのないマジメな評者の限界ではないのか? 武田泰淳は名作「富士」で舞台となる精神病院をいろんな狂者の蠢く幻視空間に仕立ててしまったが、その溢れる想像力がこんな手を変え品を変えの短編群を生むのだろう。 どの作品も人物がいきいきとしていて会話が実にたのしい。「富士」の観念的な会話とはまるで違う庶民のリアリティ溢れる会話。戦後を生きる人間のどうしょうもなさが逆にたくましさに見えるようだ。

「ニセ札使いの手記」:ごく平凡な印刷屋の親父さんが、売れない芸人の私にときどきニセ札を渡してくれて、それを使うのが私の役目。たくさんのオツリをもらうような買い物をすればOKというわけ。こんな犯罪が警戒心もなく行われていて登場人物はのんきに飲み屋で貨幣論など闘わせている。親父さんとその娘たちといっしょに遊園地をめぐったりして、とてもニセ札使いという危機感がない。この落差がなんとも奇妙で、そのせいか会話も現実感がなく夢見てるようなおもしろさ。

「「ゴジラ」の来る夜」:とうとう首都圏に映画でおなじみの怪物がやってくることになって、住民が避難する中、決死の特攻隊が組織される。それは宗教家や脱獄囚や映画女優らたった6人で、ビルの上階で体制を整えていると、はたしてやって来た怪物は姿が見えない透明怪獣だった。

「空間の犯罪」:少年時全くの偶然の事故で片足が不自由になった主人公は、ある日町のヤクザの親分からいじめられ、ののしられる。「くやしかったらガスタンクにでも登ってみろ!」これが心のなかでしこりとなって残り、とうとう不自由な足でガスタンクに登り始めた。

 

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「二百十日」 夏目漱石 作

 

碌さんは学はありそうだが体力はない。圭さんは豆腐屋出身で体に自身はある。この二人が阿蘇山の麓の旅館に陣取って、明日にでも火口へ登ろうかという計画である。圭さんは温泉につかりながらも口をついて出るのは、華族や華族にとりいって出世を図ろうとする資本家どもの悪口である。自身の境涯を省みるにつけても支配層への恨みがつのる。いつかはこの連中を倒し世の中を変えないではおくべきかと悲憤慷慨だ。

この旅館、ビールはないがエビスはあるのが面白い。

さて翌日阿蘇山へ登ろうとするもあいにくの荒天。それでもかまわず登っていくが、あたりは霧か煙かで視界は閉ざされ、火口あたりを右往左往するうち雨はだんだんと強くなり、とうとう溶岩が通った後の深い溝へ落ちてしまうのであった。というさんざんな観光の顛末。

 

漱石の時代、まだまだ正義感が純粋だなと思う。併読した「野分」という作品ではカネや出世に拘泥する生き方を軽蔑し、高潔なる理想を追い求めて教職を棒にふってなんとも思わない白井道也なる人物が登場するが、これも道というものについて純粋な人間である。近代化が始まって立ち回りのうまい資本家ばかりが肥え太り、平民が苦労にあえぐ社会を見たとき、これは間違っている。いつかこの方向を変えて、平民が恵まれるほんとうの世の中にしなければウソだ。と漱石も感じたのだろう。

それも社会主義革命ではなく、道徳的に正しい社会を追い求めているところがあると思う。労働運動も始まっていないし、社会主義運動の挫折も経験していない時代だ。作品の登場人物たちも資本と国家権力の恐ろしさが身にしみていないようだ。リヴァイアサンを知らず、高徳なる人士を育てることによって社会をよく出来ると信じるところ、やはり国家資本主義がまだまだ身にしみていないのだなあという気がした。

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「新アラビア夜話」 スティーヴンスン 作

 

かつて「自殺クラブ」というタイトルで講談社文庫から出たものを持っているが、今回新訳で読み返してみた。19世紀のロンドンを舞台にしたアラビアンナイト。

あるときは変装までしてその身分を隠し、市井にまぎれて悪人を退治するその人、実はボヘミヤの王子フロリゼルを中心とした物語である。まるで暴れん坊将軍のような設定だ。「自殺クラブ」と「ラージャのダイヤモンド」の2編で構成されている。

 

「自殺クラブ」:クリームタルトを配り歩き、断られたら自分で食べて、もう27個も食べている奇妙な青年に案内されて王子フロリゼルと家臣ジェラルディーンがたどりついたのは、自殺志願者の集まり「自殺クラブ」だった。自身も自殺志願者を装ってクラブに参加した王子とジェラルディーン。トランプの引き札によって、その夜の自殺者と幇助者が決定される仕組み。後戻りできない状況に追いやられた二人は、クラブの主催者を退治するべく立ち上がる。

「ラージャのダイヤモンド」:インド由来の極めて大粒の宝石「ラージャのダイヤモンド」。ヴァンデラー将軍の夫人は家中の宝石類をこっそり持ち出そうと使用人に托し、その結果とある庭先で宝石はばらまかれてしまう。その中の「ラージャのダイヤモンド」に目がくらんだ聖職者ロールズは神を裏切って宝石を盗み取るが、さらなる悪人もからんで結局宝石はフロリゼル王子の手に渡るが…。

 

しっかりと設定されてシリーズ化されていたわけではないのが残念で、王子が活躍するのは「自殺クラブ」のほう。もう少し王子とジェラルディーンのコンビの話を読んでみたかった。古典ながらストーリー中心主義を楽しみたい自分としては、昔のイギリス文学はもってこいだ。

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