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漫画家まどの一哉ブログ

   
読書
「五里霧」 大西巨人 作

長編作家として知られる大西巨人の短編集。いつもながらヘンに堅苦しくてゴリゴリとしている愉快な文体で短編を読むと、味わいもないまま終了してしまう。と思ったらそれはそれで情感も豊かで、やはり純粋な日本文学であることに今さらながら気付くしだい。

「立冬紀」:1937年、鹿児島から福岡の家へ戻る汽車の中、主人公は八代駅であわてて二箱弁当を買ったが、開けてみるとどちらもおかずばかりで飯はなかった。この失敗で同席の人達の笑いを誘い仲良くなった。同席のうち二人の女性は「あき子ねえしゃん」と「としえしゃん」。一人の男性は巡洋艦足柄の乗組員で帰艦命令を受けて戻るところだ。おりしも盧溝橋事件が起き、いよいよ本格的な戦争に突入するのだろうかという不安入り混じる会話が続くが、主人公は実は福岡にナイトショーの映画「白き処女地」を見に行くために帰るところなのだ。九州弁が実に心地よく響く。

「底付き」:1931年、相良と妻やすのの家では博多人形を売って暮らしている。花札勝負に明け暮れるルンペンプロレタリアートの旦那銀之助が大阪へ商用で行ったきり帰ってこないのを心配した見世(みよ)は相良夫妻宅へ相談に訪れたが、どうやら銀之助が運んだ博多人形は「ソコツキ」といわれる裏面に卑猥な細工を施した特殊なものであったらしい。もちろん「底付き」とは女性器に対する一種の秘語でもある。

「連絡船」;1941年、門司の下関対岸にあたるところに和布刈神社というのがあって、大阪日々新聞福岡支社で雇い員を勤める桜井は、恋人である未亡人の華子とたびたび訪れていた。そこは関門海峡の連絡船乗り場でもあるわけだが、「人は精神の、魂の、連絡船を持つべきであるが、数年このかたまるでそれを持たない」と思う桜井。華子も桜井もともに人生に落莫の風を感じて生きている。そんな中とうとう出征となった桜井は、家庭の窮迫で学業をあきらめることになったある少女の支援を華子に托そうとする。

この短編集には現代を舞台にした作品も多く含まれているが、自分が気に入ったのは戦前の話ばかりだ。ドラマがある。それに九州弁の小説が大好きなのだ。

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つげ忠男の描く夜の街。この突き放したような殺風景な情緒を見よ。1960~70年代に「ガロ」で名作「無頼の街」などを連載していたころから、本質的にはまったく変わっていない。この裏寂れた下層の情景がたまらない。今回の作品「変転」にはエリート層らしき銀行マンが登場するが、エスタブリッシュな階層がまるで感じられず、ジーパン屋の亭主にしか見えない(笑)。

変わらないと言えば菅野修の描く帽子の男。初期作品からこの顔の大きい左向きの悲しげな表情の男が主人公として登場するのが一貫している。やはり作者の分身というか本質なのだ。菅野さんも長い間描いてきて結局原点は揺らがないのだ。これしかない。

でもそんなことをいえば、うらたさんの描く少女も変わらないし、やはり描くべきものを持って描いているからなのだなと思う。そこがなかったら漫画なんて描かないよね。

甲野酉さんの「眩ます」は、主人公が街中を移動することを、ゆっくりコマ数を使って描いてあって、実はこのコマ時間がこの作品の味わいであります。

それにしても斎藤さんの4コマはおもしろいな。使い勝手のいいキャラクターがいっぱいいるんですよ。でもこれも作者の分身だと思われる。

ガラリと作風が変わってしまう漫画家もたまにはいますが、変わらない人のほうが多い気がする。「幻燈」の作家は作風も変わらないが、何年経ってもちっとも有名になっていないという点でも相変わらずだ。そしていよいよ老境だ。

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読書
「夢小説」 
シュニッツラー
 作

医師フリトリンは、愛していながらも実は揺れ動いている妻アルベルティーネの本心を打ち明けられて、夫婦間の愛に虚無的なものを覚えた。彼を慕っていた患者宅の娘を袖にして、下町の娼婦と一夜を共にするが、それでもまだ心は晴れない。

そんなとき旧友のピアニストに再開し、秘密の仮想舞踏会が開かれていることを知る。旧友に頼み込んで合い言葉を教えてもらい、自身も仮装してこっそりとその仮想舞踏会にまぎれ込んでみると、男達はほとんど仮面をつけた僧服姿。そして女達は顔に仮面と薄いヴェールをつけたほかは一糸まとわぬ姿のまま、ダンスパーティーが始まったのだった。

そのとき医師フリトリンは一人の女性に「ここにいては危険だからすぐに逃げるように」と再三忠告されるのだが、全裸の女性にそんなことささやかれても冷静でいられないよねえ。結局フリトリンが闖入者であることはバレるが、その謎の女性が身代わりとなって、彼は暴力も受けずに会場から追い出されただけですんだ。

その後懸命に謎の仮想舞踏会の正体を探ろうとするが、身の危険をおぼえるだけで結果は得られず、しかも謎の女性は死を持って報われたかもしれず、謎は謎のまま再び日常が始まろうとするのだった。

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タイトルもないが、話の意味が分からない。


  

花屋の前で交通事故が頻繁に起こり、救急車や新聞記者が出動する。
その後取材内容が調べられているらしい。
変わって病院では3段ベッドに寝かされて療養している。
1964年頃のはず。

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読書
「真昼の暗黒」 
アーサー・ケストラー 作


アーサー・ケストラーといえば「偶然の本質」などスピリチュアル研究者だと思っていたが、こんな壮絶な内容の小説を書いていたとは。まさにソビエトにおいてスターリンの独裁体制が確立してゆく、その粛正の恐ろしさをブハーリンの運命をモデルに描いた社会小説。革命後の政権にあって枢要な役割を演じた主人公ルバショフ(ブハーリン)もナンバー・ワン(スターリン)の容赦ない権謀によって独房に監禁されている。始めから終わりまでこの独房生活が話の中心だがまったく退屈しない。壁をコツコツとたたく回数でアルファベットを現す秘密の暗号があり、独房同士はこの方法で通信することが出来る。監獄での出来事は一斉に伝わるのだ。


主人公ルバショフと同じ革命世代の幹部は、反革命的計画を自白することによって、まんまと極刑を免れる方策を彼に示唆した。だが時代は既に変わっていて、革命前夜を知らない若い指導者達は彼ら旧世代を一掃する意味で容赦なく死刑を宣告していく。若い世代の信念はこうだ。「歴史の中でたった一国立ち上がった社会主義国ソビエト。これはほんとうの世界革命が成就するまでなんとしても倒れてはならない。ナンバー・ワンのもとに結集しプロレタリア独裁・共産党政権を絶対守り抜かなければならない。」だが、そうやって死守した国家はもはや後世に残すべき意味のない醜悪なものに成り果てていたわけだった。連日連夜の尋問で主人公が自白に至る過程はリアル。そして暗黒裁判へと進む。


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これもおそらく自分が6~7歳の頃に書いたものと思われます。

最初の見開きはほぼサイレントで、非常に怖い内容の本に悩まされる様子が描かれます。

ところが次の見開きになると、一転して饒舌になり、アホダラ経のようなリズムでもって、この怖い本の由来が語られるといった趣向になっています。当時なんの影響を受けてこんな表現をしたのか、今となってはわかりません。未完です。

   
  

2見開き目から

10「キャー」

11「うわーん、やってきました。と、とうとうこの一瞬のこの怖さ。やった、見た見た。見た見たよ。こんな怖い本を誰が書いた。か、書いた。」

12「はいはいそれは私です。とうとう来ましたこの時が。そのほか来た見たこの本を。「ミイラの世界」に「骸骨市民」、「怪物ニラン」に「地球の最後」。見た聞いた、この話。ハイハイ」

13「バカ野郎、カバ野郎。耳の骨から足の爪。ツーンときたよ、この怖さ。おかげで今夜は眠れない」

14「まあ、おやなんと、なんとなん。私の書いたこの本にケチを付ける気、マントヒヒ。10年9年2年かかって完成したのよこの本は。」

15「早よ行ってこい、バカ野郎。ウチに入ると汚れるわい。この本もやぶいて燃しちまう」

 「ひゃあ神様、ほとけ様」

16「夜中自分の心に話す声。悪魔とはこれだ、これですよ」


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同じ紙に東京オリンピックの漫画が描かれてあるから、
おそらく自分が6~7歳の頃に書いたものでしょう。
おもしろいからアップしてみました。シリカゲル…(笑)



冒険小説

「赤く光る不思議な少年」


:10月2日酒井という新聞記者が、日本の離れ小島へ行ったとき、赤く光る不思議な島を見つけた。酒井はすぐその島へ行ってみた。木も草も赤く光っている。

:酒井がその草にさわると、酒井の身体が小さくなり、声の出ない真っ赤な少年になってしまったのだ。その三日前に、赤いダイヤモンドがその島に流されたという。しばらくすれば隊員がダイヤモンドを探しにくるだろう。さて酒井はどうするか。

:二・三日経つと隊員がやってきた。そしてダイヤモンドにシリカゲルをふった。すると酒井の身体が普通に戻った。でもまだ三・四人赤い少年が立っている。いったいどうしたのだろう。


なぜ赤い少年ができたのだろう。

なぜダイヤモンドにシリカゲルをふると、治ったのだろう。

……………。

つづく


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読書
「文藝春秋・短編小説館」


1991年発行の当時「文藝春秋」に掲載された作品を集めた短編集。作家は丸谷才一、安岡章太郎、藤沢周平、大江健三郎、吉行淳之介、村上春樹、三浦哲郎、田久保英夫、大庭みな子、遠藤周作、河野多恵子、瀬戸内寂聴、古井由吉、日野啓三、吉村昭。


この後あれよあれよという間に何人も死んでいく。多くが晩年の作品だ。

さすがに才能豊かな作家も晩年になると想像力が失われてしまうのか、小説といっても身辺雑記的なものが多い。この短編集の中でも安岡「叔父の墓地」、吉行「蝙蝠傘」、瀬戸内寂聴「木枯」など全くその類いでエッセイというならば申しぶんないのだが、これを小説といわれると違和感がある。伝統的に私小説という分野があるにしても、自己の生き様に迫るといったギリギリ感もない。もっとも安岡の文章は自分にとっては絶品というやつだ。


河野多恵子「怒れぬ理由」なども、あまりにも細々とした私生活が描かれていて、他人にとってはまったくどうでもいいハナシだ。社会階層も私とは違っていて困ったもんだ。ただ作者特有の霊魂観がおもしろくて要約すると、「霊魂は多分に無機的な電気の一極のような性質を持っていて、縁あった生者が故人のことを思い出したり語ったりすると、それに反応して電流が通じる。これを感知できるのは生者の側だけである。生者がしだいに亡くなって故人を偲ぶ人が誰もいなくなれば、霊魂は消滅する。」というものである。


この顔ぶれの中では一番若い村上春樹「トニー滝谷」がいちばん小説らしい小説で面白かった。

村上春樹「トニー滝谷」:ジャズミュージシャンの父親にトニーという名を付けられた主人公。テクニカルイラストレーターの腕を活かしてひとりぼっちの人生を歩んできた彼。初めて惚れて結婚した女は狂ったように洋服を買ってしまう女。彼女が亡くなった後、残された山のような洋服の中で本当の孤独が胸にせまる。

三浦哲郎「添い寝」:温泉地で働く巴。彼女の仕事は70歳以上の老人男性限定で一晩添い寝するという変わったものだ。朝起きると隣の老人が冷たくなっていることもある。そんなある日、むかし東京の出版社で働いていたときの同僚が訪ねてくるが、彼女はまったくさばさばしたものである。人生の変転を描くもユーモラスな一品。

遠藤周作「取材旅行」:作者は取材のため土地の人間ですら知らない戦国時代の城跡や屋敷後をめぐる。若き秀吉が仲間の蜂須賀小六たちと奮闘した、小牧・犬山あたりの小城主達とのかけひきが明らかにされて興味深い。


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読書
「モーパン嬢」 
テオフィル・ゴーチェ 作


詩人ダルベールは理想の女性を追い求めてやまない青年だ。女性に対する美学には大変厳しいものがある。ロゼッタは完璧には理想の女性ではないが充分魅力的な女性で、彼らは付き合ってはいたが、本心では愛し合ってはいないことがだんだんと明らかになってきた。そんな時に現れた騎士テオドール。彼はロゼッタがずっと心慕っていた永遠の恋人であり、ダルベールにとっては男ながら虜にされる程の魅力的な紳士だった。それもそのはず騎士テオドールとは、実は男勝りの令嬢マドレーヌ・ド・モーパンその人なのである。しかも連れている小性すらが男装の少女なのだ。この摩訶不思議な恋愛模様の結末やいかに!


というわけで、ほんとうは恋愛ものはさしたる興味もないのだけど、展開が面白くて読んでしまった。ふつうの地の文もあるが、手紙の形式で書かれた章や、セリフで綴られた章など、手を替え品を替えの工夫満載だ。主人公のモーパン嬢が男に変装しているので、バレやしないかとこちらはドキドキする仕掛けになっているのだ。


この時代(19世紀フランス)に男性的な気質を持つ女性を登場させたゴーチェの人間観が鋭い。女同士のキスや触れあいなどのからみもあるが、結局モーパンはダルベールに身体(処女)を捧げ、ベッドシーンの描写もちゃんとある。

実はこの小説、長過ぎる序文がくっついていて、そのなかでゴーチェは昨今の文芸評論家の道徳家主義を猛批判している。小説や芝居には強姦も殺人もあってあたりまえで、説教臭いこと言うな。といった論旨。そんなわけでこの作品もしっかり性愛を描いているのです。でもあんまり売れなかったそうです。とほほです。


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アベシンとは伝説の漫画家安部慎一であるが、新刊「世の終りのためのお伽噺」贈呈への礼状FAXが編集部へ届いた。これが相変わらずのくずし変体仮名の達筆でさらりとは読めない。時間をかけてなんとか読み解いたものが以下。



「手塚様 まどの様


先程はTELで失礼しました。

まどのさんの作品が後世に残る為には

まず、背景や人物に対する
愛情が必要だと思います。
しかし、そのまま進めば、一流の
漫画家には成れます。
モデルに対する美意識、

又、背景に対する感動、

それらが、芸術を成す

基本だと私は信じています。

次の単行本を今やロートルの

私の年に影響を受けず

頑張って下さい。

ありがとうございます。」


というわけで、アベシンの文章はしばしば理念的・観念的でたいして面白くないのだが、これは氏が宗教に凝る気質であることと同じ面の現れのような気がする。2010年の「月刊架空7月号:安部慎一特集」のインタビューでは、しごくまっとうなことを喋っているのに、文章を起こすとなると構えてしまうのかもしれない。


ところで先日のオージといいアベシンといい「ガロ」が生んだ天才漫画家で、作品は必ず後世に残ることは自分は若いころから信じてたが、この2013年においてどれだけ多くの読者に共有されているかというと、まったく情けない状況だ。つげ義春以降の表現といっても、結局コップの中のさざ波で終わっているんじゃないか。知り合いばかり集まってる文芸運動みたいだ。やれやれ。


と愚痴ってみましたが、それはさておき「月刊架空7月号」のインタビューは、ファンおよび研究者必読の内容なので今からでも買って下さいね。楽しいよ。


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