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漫画家まどの一哉ブログ

   

ようやく我々も「グランフロント大阪」に行ってきたぜ。けっきょくファッショナブルなものは何も買わなかった。自分は最新のビルや大型施設などがけっこう好きなのだが、このようなモダーンでインテリジェントなシティは、残念ながら私の学習した水木・つげ・辰巳ラインには描写方法がなく、もし今後エスタブリッシュな世界を設定したとすれば、ツルツルピカピカの質感を古くさい画法でどう描けばよいのか、おおいに苦闘するであろう(笑)。




変わりゆく大阪駅と梅田界隈。




グランフロント大阪。このファッションビルの北館は


ナレッジキャピタルという知的エンターテイメント空間なのだ。好きにしろ。


梅田スカイビルはまだ昇ったことない。




植物化計画中のマルビル。ここの地下にあるタワーレコードによく行く。




自分へのおみやげ。ヤナーチェク、ルトスワフスキ、高橋悠治など。

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読書
「東京震災記」 田山花袋 著


明治期自然主義小説の代表選手、田山花袋による関東大震災ルポルタージュ。


ストーリー仕立てではないため盛り上がりというものはないが、都内各所の壊滅的な状況や、残された人々の戸惑う様子がくりかえしくりかえし描きだされる。言うまでもなくこの震災の悲惨なところは大規模火災にあって、いたるところ周り全体が火炎であり、熱風と煙の中で逃げ場は川にしかなく、結局そこでも多くの人が亡くなっているその様子が語られている。


また花袋は、東京のそこかしこにそれまでかろうじて残っていた愛すべき古き江戸の風情が、とうとうこの震災で灰燼に帰してしまったことを大いに嘆いている。しかし今後ほんとうの意味で東京が大都会へと生まれ変わるきっかけでもあることを期待してもいる。なにせ一面焼け野原でなにも残っていないのだから。


それにしてもさすがに花袋の文章が美しく、こんな文学的な表現で語られると、廃墟と化した東京でも実に魅力的に思えてしまう。震災のルポ自体より、自然や情景の描写に心うたれた。

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読書
「境界なき土地」 ホセ・ドノソ 作


ドノソを読むのはこれまでに2回失敗しているが、これはよかった。いわゆるマジックリアリズムやグロテスクリアリズムの作風というより、丁寧に書かれたふつうの人間ドラマだった。滅びようとしている小村の売春宿が舞台で、主人公がオカマの中年ダンサーだというところが野次馬的な好奇心をそそるが、当然オカマだって普通の人間なんだから、彼(彼女)の葛藤やふるまいをそれだけで奇行とは呼べまい。


彼は売春宿兼酒場でダンサーとして働くが、結局はオカマゆえに男達にからかわれ暴力を受ける人生。彼の娘は店の売上をせっせと貯金し、どうしても滅びゆく村と店を捨てようとしない絶望とともに生きる女。そしてトラックだけを頼りになんとかボスの支配から逃れようとする野蛮な男。


電気が通って発展していくはずの村だったが、結局そうは行かずボスたる政治家の思い通りに土地が買い占められようとしている。たった一人のボスだけが支配する村の小さな経済。それだけが唯一の政治でもあるといった状況。洋の東西を問わずこれが地方の小村というものなのか、行き止まりの社会と行き止まりの人生がある。

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東京ビッグサイトで開催された「コミティア105」に行ってきました。


車で早めに着いてベンチで休んでいると、開場と同時に外で並んでいた人達がぞろぞろと15分くらいかかって入場するのであった。妻はおおやちき先生の手作り小冊子をゲット。俺はジオラマに行って「ユースカ」を買うのを忘れました。

 会場の様子。


「アックス」や「電脳マヴォ」で活躍の関根美有さんにお会いしました。




おなじみ香山哲青年と平山青年。手作りバッジ




旧友永山薫先生。「マンガ論争9」をみなさんよろしくです。




作家の瀬川深さんも参加。新刊「ゲノムの国の恋人」よろしくです。




「電脳マヴォ」を編集するホップ・ロウのツルシさんと竹熊先生。




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読書
「聖ヨハネ病院にて」
上林暁 作


読み返すたびに違った印象で面白く感じられるのは、読むこちら側の人生がいろんな局面を経て成長しているからであろう。作者の妻が実際に精神を病んで入院しており、子供たちを育てながらも毎日病院へ通う現実が描かれる。というとかなり悲惨な話のようだが、たとえ状況は困難でも、確かな夫婦愛が貫かれているところに安心をおぼえる。「名月記」も同じような環境を描いた短編だが、こちらはいよいよ退院しようという時期のエピソードで構成されていて楽しい。この場合の楽しいというのは、ほほえましいといったような感覚。主人公が苦労つづきでも、夫婦の会話に人生の滋味というものが感じられて、私小説の心地よさがあった。


この代表作が捨てがたい名作で、私もこれ以外あまり読まないが、全集は分厚く19巻もあるのだ。私小説でこのボリューム!

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青林工藝舎オフィス地下で開催されたフリーマーケット「アックスガレージセール」に行ってまいりました。

 会場の様子

 本さんとワタクシ

 
田中六大画伯&後ろは、お東陽先生

 田中六大画伯描くところのワタクシとヨメ

 筒井ヒロミさん

 
甘茶ブランドの数々。「ノーブラセーター」いやらしくて良い。

 
ブルーがまぶしい鈴木翁二絵はがきセット

 菅野さんの私家版。煙草臭あり。

 中野シズカさん直筆の妖怪画

 
前から気なっていたが、最近の後藤友香さんの活動は、やはりエーリッヒ・ブラウアー(アリク・ブラウアー)にインスパイアされていた。俺も大好きブラウアー!

その他、藤枝奈己絵さんの「西成日記」や
斎藤裕之介さんの「リバーサイド」も入手。

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読書

「カンディード」

ヴォルテール 作

これは18世紀の作品だが、近代文学のようなリアリズムがなくったって面白いものはいくらでもある。

疑う事を知らない純粋な主人公カンディードが過酷な運命に翻弄され世界各地を放浪するのだが、同行する仲間の人物達もかなり悲惨な生涯を生きる人々ばかりだ。

これは何故かというと「カンディードまたは最善説」というタイトルからもわかるように、この作品全体がオプティミスムに対する批判として書かれているからで、この場合のオプティミスムとは現代でいうところの楽天主義ではなく、当時支配的であったライプニッツの最善説というものである。神様の作った世界であるからには、世の中で起きる事は悪い事も含めてすべて最善の結果として現れているという考え。造物主という前提がなければとても納得できない説だが、1755年にリスボン大地震が起きて3万人が犠牲となってからは、ヴォルテールはいよいよこの考えに異議を唱える気になったようだ。

そんなわけで主人公カンディードは波瀾万丈の冒険をくりかえしながら、いつまでたってもお人好しなのだ。最後の最後に仲間と流れ着いた土地でささやかな畑を耕して生きていく。ようやく虚しい哲学的思弁  を捨て、実直な日々の労働に幸福を見出すという結末は、なるほど人生哲学として正解だが、ただしこれはあくまで平凡な人間の喜びの一面であって、曲者ヴォルテールがこれをもってすべて解決としていたわけではあるまい。

同時代のルソーが「告白」を書いたように冗談抜きで自己をそのままさらけ出して真実を訴えたのとは違って、ヴォルテールのように自身の思いを直裁に物語化することが照れくさく、どうしてもコントの体裁をとってしまうのは、自分もおおいに共感できる所です。もっともルソーの「孤独な散歩者の夢想」は本人がマジな分、読んでるほうは爆笑してしまうという傑作だった。

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いわゆる「ガロ系」の漫画は、狭いサークルの中にとどまっているようなところがあって、とくに自分のような作風だとなかなか他誌ともからめないようである。

もちろん好きでそうしているのではなく、世間の反応がそうだと言うハナシである。

ネット社会の広がりを利用して、大いに自作や友人の作品を盛り上げていきたいところだが、ネットのつながりというヤツが実際には知り合いばかりで、告知するにしても評価するにしても、なかなかほんとうの第三者に繋がっていかない。コップの中で終わっている。良い悪いより先に、まずその存在を多くの人に知ってもらいたいのだが、世の中の膨大な漫画の出版量と広告にとてもたちうちできないのが正直なところ。

もちろん作風からして一般に受け入れられない面はあるかもしれないね。

自分も今まで単行本を3冊出して、「洞窟ゲーム」のような作品集なら新たに出せるだけの作品数は既にたまっているのだが、はたしてコップの外の世界に届くのだろうか?

また、つげ義春以降の表現を追求するのはあくまで正しい試みであるが、ここ30~40年の成果を省みてもコップの中にセクトが1、2個出来たようなものではないか。傑作は生まれているにしても、あまりにも世間の認知がなく、近年つげ忠男や菅野修の作品集が出ても世間はおろか、出版界・漫画界にもまったく無視されているような状況。このままでいくとあと50年くらい経っても同じような認知度でとどまっているであろう。よく知らないまま言うが、現代音楽や現代詩のようなポジションかもしれない。これはすべて世の中に責任があると考えて省みないつもりですが(笑)、さみしいはなしだ。なんといっても作品数が少ないのも一因だ。

と、ぼやいたところで…さて、ちょっと不思議でシュールな短編というヤツは既にいろいろ描いてみたので、少し手を変えてギャグベースで連作できるものを試みております。今後「電脳マヴォ」や「アックス」で展開されるでしょう。少しでもコップの外の世界のドアをノックできるといいのですが…。

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はじまりはじまり。コマノンブルに気をつけて読んでね。
 
ハーキュリーとは、当時(1964年頃)放送されていたアメリカアニメ「マイティハーキュリー」のこと。かげまるとは「伊賀の影丸」であります。

コマノンブル順に読むと進行がわかります。

またも登場「魔法のランプ」

今度は姫を城へ返す事を依頼してオシマイ。

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読書
「白鳥の歌/貝の音」

井伏鱒二 作

この短編集には純粋な空想による時代劇なども数作含まれているが、自分としては作者が日常の中で出会った出来事を繋いでいったような作品が好みだ。けっこう題材として愉快なことがあるもんだ。

「白鳥の歌」:瀬戸内の因島にある医院の二階に下宿している学生時代の作者。港町の劇場付きの下宿には、旅の一座が背負った借金のカタに、後桐という女形が置き止めをくらっていた。モルヒネ中毒の発作でよく医院へ飛び込んでくるこの男に頼まれ、チェーホフの「白鳥の歌」を歌舞伎風に翻案することになってしまう。

「下足番」:早稲田江戸川橋にあった娘義太夫の定席によく気のつく下足番がいたが、最近行ったある料理屋旅館の番頭によく似た男がおり、問うてみると果たして本人だった。山形の田舎出身の彼は、実は村の川にかかる橋を爆破して逃げてきたいきさつがあった。

「病中所見」:作者は甲州へアンゴラ兎を買い付けにいって突然ギックリ腰を発症してしまう。なじみの旅館までタクシーでのりつけて、女将や女中に教わったとおりに腰をいたわりながら過ごした数日の話。

土地の旦那からなじみの芸者を隠す話や、女将が世話を焼いているぼんやりした見習い青年の話など。

どの話も市井の人々の飾らない会話を読んでいるだけで楽しい。現代の教養ある都市生活者の日常じゃこの楽しさは出ない。

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