漫画家まどの一哉ブログ
「世界のすべての朝は」 パスカル・キニャール
読書
「世界のすべての朝は」
パスカル・キニャール 作
(伽鹿舎)
ヴィオル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)の名手兼作曲家の男。亡くした妻をつねに思い、残された二人の娘とともに演奏に生きて名声を得るが、興行を嫌い世間に背を向け、ただ自然の声を聞いて言葉以外の言葉を奏でようとする。
この生来の体の中から湧き上がってくる本質的なものへの衝動。人を楽しませるためのものでない求道的な音楽のあり方。男が求めていたものは私に取ってもけして他人事とは思えない。
この主人公の性格設定のせいか、作品全体がつねに張り詰めた冷たい風に洗われるような緊張感を持っている。風景描写はなくとも非常に美しい空気感のある作品。形としては多分に趣意に沿って演出された作品で、読者のすぐそばにいるようなリアルな人間描写をとっていない。それぞれの人物がその役どころに従って演技をしているような表現だ。本来的には時代劇とはそういうものかもしれないが、一歩間違えば迫真性に欠けたつまらないものになってしまう。
そこを補うのが美意識であって、この作品では主人公の男の亡妻への愛と音楽への一途な姿勢が圧倒的で、読んでいて飽きさせないものとなっていた。しかし弟子入りする若い男と姉妹たちの立場はやはりストーリー上の類型なので、そこはやや物足りないものを感じた。
「世界のすべての朝は」
パスカル・キニャール 作
(伽鹿舎)
ヴィオル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)の名手兼作曲家の男。亡くした妻をつねに思い、残された二人の娘とともに演奏に生きて名声を得るが、興行を嫌い世間に背を向け、ただ自然の声を聞いて言葉以外の言葉を奏でようとする。
この生来の体の中から湧き上がってくる本質的なものへの衝動。人を楽しませるためのものでない求道的な音楽のあり方。男が求めていたものは私に取ってもけして他人事とは思えない。
この主人公の性格設定のせいか、作品全体がつねに張り詰めた冷たい風に洗われるような緊張感を持っている。風景描写はなくとも非常に美しい空気感のある作品。形としては多分に趣意に沿って演出された作品で、読者のすぐそばにいるようなリアルな人間描写をとっていない。それぞれの人物がその役どころに従って演技をしているような表現だ。本来的には時代劇とはそういうものかもしれないが、一歩間違えば迫真性に欠けたつまらないものになってしまう。
そこを補うのが美意識であって、この作品では主人公の男の亡妻への愛と音楽への一途な姿勢が圧倒的で、読んでいて飽きさせないものとなっていた。しかし弟子入りする若い男と姉妹たちの立場はやはりストーリー上の類型なので、そこはやや物足りないものを感じた。
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