漫画家まどの一哉ブログ
「パロマー」 カルヴィーノ
読書
「パロマー」 カルヴィーノ 作
カルヴィーノはどうも観念的な言葉をあやつる趣味があって、せっかく小説は面白いのだから素直な物語を書いてくれればいいのにと思う。これが遺作。
パロマー氏という一文化人が日常生活の中で発見した自然や街や社会の様々を段階的に語ってゆくという設定。段階的というのは最初は視覚に忠実に描写しているが、しだいに思念的・瞑想的にふくらんでいくというカタチをとるもの。
たとえば庭に来る昆虫や鳥、ヤモリやクロウタドリのようす。また街で並んでまで手に入れる肉やチーズについて。これくらいなら多少言葉を費やしても愉快なエッセイの範囲で楽しめる。
ところが世界や宇宙について考え始めるといかにも哲学趣味で、世界をみつめる自分という内側の存在と外側の間にある「私」という存在とか、そんなハナシになっていく。哲学に置けるこの種の言葉の置換えや積み重ねが認識の深化だとはまったく思えず、不毛だとまで言わないが趣味の問題だと思う。言葉を使った遊び方の種類が違うのだという気がする。
「パロマー」 カルヴィーノ 作
カルヴィーノはどうも観念的な言葉をあやつる趣味があって、せっかく小説は面白いのだから素直な物語を書いてくれればいいのにと思う。これが遺作。
パロマー氏という一文化人が日常生活の中で発見した自然や街や社会の様々を段階的に語ってゆくという設定。段階的というのは最初は視覚に忠実に描写しているが、しだいに思念的・瞑想的にふくらんでいくというカタチをとるもの。
たとえば庭に来る昆虫や鳥、ヤモリやクロウタドリのようす。また街で並んでまで手に入れる肉やチーズについて。これくらいなら多少言葉を費やしても愉快なエッセイの範囲で楽しめる。
ところが世界や宇宙について考え始めるといかにも哲学趣味で、世界をみつめる自分という内側の存在と外側の間にある「私」という存在とか、そんなハナシになっていく。哲学に置けるこの種の言葉の置換えや積み重ねが認識の深化だとはまったく思えず、不毛だとまで言わないが趣味の問題だと思う。言葉を使った遊び方の種類が違うのだという気がする。
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