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漫画家まどの一哉ブログ

   

「大江健三郎論」 怪物作家の「本当ノ事」
井上隆史 著
(光文社新書)

戦後民主主義者としての立場に収まらない、大江文学に潜む闇を明らかにする。

大江健三郎の薄い読者である自分のような者が、この評論を読んであれこれ言うのも恥ずかしいが、他人事として簡単に書く。
あらゆる作品は必ずしも作者の生活・人生とシンクロして描かれるわけではないし、基本的に作品が面白ければ作者がどんな人間であろうが構わないわけで、作者論というのは作品に基づいた作家論とは別のものであろう。

ところが大江文学の場合は作品のモデルが作者の私生活であるし、大江がオピニオンリーダー、アンガージュマンとしても活動しているので、その戦後民主主義理念の体現者としての立場が作品と整合性があるかどうかが問題視される。
しかし自分はそこは矛盾していても大いに結構だと思う。ようするに作品に偽善があるということだが、それも魅力の一つであり作家ごと作品を愛する人はその矛盾を楽しめば良い。
もちろん本書の著者も偽善的な態度を批判・糾弾しているわけではなく、大江文学の理解に「本当ノ事」は核となるポイントであり、全作品を分析して組み上げていくこの論考はたいした労作。重量感もあり且つスリリングで読み応えがありすぎる。

野次馬的にみれば「本当ノ事」が顔を覗かせているものの方がゾクゾクする面白味はある。それが障害児・天皇・ロリータなどであればそうだ。私の少ない読書体験のなかでも「個人的な体験」「﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」などはゾクゾクとしたし、次に読むなら「『雨の木』を聴く女たち」かもしれない。

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「血の涙」
李人稙 
(光文社古典新訳文庫・波田野節子 訳)

韓国文学を古典から近代へと繋ぐ「新小説」の開拓者李人稙(イ・インジク)の代表作。1906年作品。

日本による植民地支配がじわりじわりと進行する中で、日本への留学生たちの手で少しずつ変わり始める韓国文学。その先頭に立っていたのがこの作者。この辺りの文学史はまったく知らなかったし、またそれまでの韓国古典文学も当然よくわからない。「新小説」というジャンルに触れるのも初めて。

驚いたのはあまりに簡単に超スピードで進んでいく語りぶりで、なにか紙芝居を読んでいるような感覚だった。言文一致や人物の心情描写は近代文学への第一歩だとしても、この進行の速さは例えば江戸時代の戯作文学の感覚かもしれない。その点では近代文学を読んでいる読み応えは全くない。

ただ反対に明治期の日本文学に比べるとスケールは大きく、祖国を離れて日本・アメリカに渡り、教養・実業を蓄えて祖国を近代化しようとする人々。主人公の不遇の秀才少女オンニョンや行動を共にする青年、アメリカで実業に励む父親、絶望の日々を送る母親。など家族は日清戦争下で離れ離れになった運命のままに苦闘する。大長編ストーリーをあらすじだけでしあげたような味わいだった。

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「ケイレブ・ウィリアムズ」
ウィリアム・ゴドウィン 作
(白水Uブックス・岡照雄 訳)

名望厚い主人の隠された犯罪を知った秘書ケイレブ。主人の策略の結果、逆に極悪人として追われる身となってしまう。元祖ミステリー。

主人公ケイレブは有望な青年ながらも、主人の過去に対する好奇心が災いしてまんまと罠に落ちた格好だ。余計なことを調べなければよかったのだ。そもそも主人が犯罪を犯すに至る過去の事件を語るだけでこの長編の3分の1を占める。その後ようやく現在のケイレブの話となり、彼が無実ながらも世間に誤解され、恥ずべき人間の屑とされる困苦の逃亡生活が続くわけだが、これがあまりにしつこい。

けして冗漫ではないが、ケイレブが信頼を寄せる人々に次から次へと裏切られ、けだものと罵られるありさまが、読んでいて辛くやりきれない。別に殺人を犯したわけでもなく、主人の金を盗んでそれを主人のせいにしたぐらいのことでそこまで非難されることはあるまい。しかも冤罪である。だが物語は最後の最後まで極端な非難を受けるケイレブの悲哀を繰り返し、徹底して絶望を描いてゆく。

物語のバランスとしてどうかと思うが、ゴシック小説の名作にしてミステリーの原点ということならば仕方あるまい。現代の視点では語るべからず。

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「ポトゥダニ川」プラトーノフ短編集
アンドレイ・プラトーノフ
(群像社・正村和子・三浦みどり 訳)

貧困の中でも悪意なくただ正直に生きることしかできない。そんな人々のあまりに極端な人生…。

「ポトゥダニ川」:戦争から帰ったばかりの青年ニキータ。貧困のなかで医師を目指すリューバと愛し合い結ばれるが、あまりにピュアな男で、彼女の幸せばかりを考えている。自信と覚悟というものがないのか、ある日彼女が寝ながら涙しているところを見て、絶望のあまり家出してホームレス生活に入ってしまう。若いとはいえ、ガラス細工のような男だ。しかし真面目で無垢で嘘がないので、いい夫だと思う。貴重な人材だ。

「セミョーン」:彼は子供ながら長男で、彼のあとにどんどん弟・妹が生まれるものだから、毎年お産する母親を手伝って幼い兄妹隊の世話や家事を一手に引き受けている。いわゆるヤングケアラーかもしれない。父親は仕事ばかりだが、そもそもこの父親が子供を作りすぎるのではないか?昔はそんなもんか…?

「たくさんの面白いことについての話」:主人公は頭の切れる開明的な男で、新しい科学的知見をもとに貧しい村を大改革してゆく。しかしこれはリアリズム小説ではなく、全体的に大味な構造で、ある種の寓意小説のようなものである。電気の正体を求めて宇宙へ飛び立ったりSF的な展開もあるのはソビエト揺籃期ゆえの作品か。しかし世界全体と人生とはなにかを一気に把握しようとするプラトーノフのスケールを知ることができる。

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「魔の聖堂」
ピーター・アクロイド 作
(白水Uブックス・矢野浩三郎 訳)

魔教の企みを隠したままロンドンに建てられた7つの教会。少年をいけにえとする呪いが、現代社会で犯人不明の連続殺人事件となって現出する。新進気鋭の現代英文学。

科学を信じず魔教を信仰する教会建築家ダイアー。彼を主人公とする過去の物語。そして少年の遺体が教会で発見され、事件を追う警視正ホークスムア。彼を主人公とする現代の物語。
この2つの物語が交代に登場する仕掛けになっているが、この過去と現代のつながりは、わかりやすい形では書かれていない。個々の話自体は独立して面白い。

現代劇のほうはテレビドラマを見ているように安心して読める。ただ警視正ホークスムアがしだいに呪いの謎を解き明かすわけではないので、カタルシスは得られず迷宮と挫折が待っている。エンターテイメントの痛快感とは真逆の結末。

それより過去劇。魔教を信じる教会建築家ダイアーが、日々更新される科学的知見をものともせず、ひとつひとつ呪いを仕掛けた教会を建てようとする話はかなり珍しい設定で面白い。科学の推奨者である師匠、ライバル建築家、図面を描くのに苦闘するたった一人の弟子、その他個性的な脇役が諸々登場して愉快な書き様。幻想文学のふりをしているが不思議なことは何ひとつ起こらない、世俗的な喜劇のようなものだ。
したがってこの作品は過去劇と現代劇の2つの別々の作品といった印象であります。

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「パリの夜」革命下の民衆
レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ 作
(岩波文庫・植田祐次 編訳)

フランス革命で騒然とする夜のパリを歩き巡り、虐殺と混乱を綴った渾身のルポ文学。

そもそもこの作品。最初は自身を「観察するふくろう」と名乗って、「ばらばらにされた死体」や「女装の若者」など毎夜出会う風変わりな出来事を、暇を持て余す「気ふさぎ婦人」に報告するという体裁で書かれていて、そのまま続けてもらったら楽しい日記文学だった。

ところが時代はフランス革命の真っ只中となり、バスチーユ監獄襲撃から始まって物騒な出来事が次々と起こり、呑気な夜の散歩どころではなくなる。
そうなると恥ずかしながらフランス革命に関する知識が乏しい読者(私)としては、細かい推移についていくのは無理というもの。そして事件はひたすら悲惨な殺戮の繰り返しとなる。これも革命ゆえ仕方のないことなのか…。

作者レチフは貴族階級には批判的、王権やブルジョアジーには親和的なようす。彼にとっておおいに憎むべきは下層階級で、彼らは社会的視野ももたずひたすら利己的で、おもしろがって残虐非道な殺戮をくりかえす許されざる輩。身分が下層ゆえかどうかはともかく、こういった人間はいつの世でもいるようだ。

たとえば漫画で読むフランス革命のようなもので、あくまで小説であるにしても、ルイ16世が断頭台に送られるまでの推移が理屈抜きで分かる。ただあたりまえだが背景となる政治の動きはこちらが学習しないとわからない。

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「文盲」アゴタ・クリストフ自伝
アゴタ・クリストフ
(白水Uブックス・堀茂樹 訳)

本ばかり読んでいた幼い頃から、ハンガリー動乱期に乳飲み子を抱えて亡命。働きながら「悪道日記」を書くまでの波乱を描いた自伝。

自伝と言っても数行読み出すやいなや、大きなドラマを読んでいるようなダイナミズムを感じるのはなぜだろう。貧しい家で育ちながらも本を読むことに明け暮れているだけで、まだ何も起きてはいない。それでも語りには動きがあり、自伝文学と小説家クリストフはもう始まっている。

やがて若きクリストフ夫婦は赤ん坊を抱えてスイスへ亡命するが、この土地(スイス)で使われているフランス語が読めるようになるまでがたいへんだ。音が理解できても表記からはその音が思い浮かばない。労働者であったハンガリー人の作者が母語以外で作品を書くまでの苦労が大いに語られる。「文盲」とはフランス語が読めないという意である。

それにしてもスイスの時計工場で働きながら職場で提供される昼食が、ハンガリーのものとまるで違っていて一口も口にできないとは。同じヨーロッパとは言えそんなにも違うものかと驚いた。
ハンガリー始めソビエト政権下の東欧諸国の歴史について私は不勉強。

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「イエスに邂った女たち」
遠藤周作 著
(講談社文庫・1990年)

新約聖書に登場する数人のマリヤ。そのエピソードを描いた14点の名画図版をはさみながらイエスの足跡を追う。

イエスの教えが師匠ヨハネと違うところは、神を厳しい父のような存在ではなく、やさしく赦してくれる母として見ているところ。遠藤周作は新約の記述からより正確な事実であろうところを読み取って考えてゆく。
イエスの母マリアも最初は平凡な女性で、縁者ともどもイエスの振る舞いに困惑するが、しだいに我が息子を信じることとなる。

有名なマグダラのマリアも単なる尻軽な女ではなく、ほんとうに信頼できる男性を求める真剣で熱烈な重い女なのだ。男たちは薄情にも逃げ出したが、彼女はイエスの墓にまで付き添った。
ベタニアのマルタとマリア姉妹の逸話も二人の間で板挟みになり、どちらをも立てようとするイエスの計らいが面白い。遠藤周作の見立てはさすがに小説家ならではの人間味があって愉快だ。

それにしても父としての神ではなく、全てを赦してくれる母親としての神は、人間誰しも必要とするものかもしれない。なにしろその全てとは自分がやったこと、思ったことのみならず、無意識の領域まで含んだ完全に自分の全て。はっきり言って神が人間の妄想(ドーキンス)であっても、なぜ人はそんな超越した存在を必要とするのか、その気持ちはわかるというものだ。

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「父の娘」たちー森茉莉とアナイス・ニン
矢川澄子 著
(新潮社・1997年)

父、鴎外の溺愛を受けて育ち、鴎外が亡くなった年齢から作家となった森茉莉。離れた父親に見つけてもらうために日記を書き始め、やがて性愛に至るアナイス・ニン。「父の娘」として生きた二人を追う。

森茉莉が好きで読み始めたが、恥ずかしながら著者矢川澄子のことをよく知らず、その知性あふれる格調高い文章に驚いた。短いものでも脳内に電流が走る思いだ。

森茉莉は54歳でデビューした初めから森茉莉以外の何者でもない完成された世界を持っていて、これも全て鴎外に溺愛され完璧なる幸福で満たされた世界で育ち、びくともしない自己肯定感を得た結果である。過保護がこれほど人生にプラスになっている例はめったにないのではないか。そもそも我々凡人とは環境が違うが、鴎外亡き世界に不安はなかったのだろうか。

アナイス・ニンも自分は全く知らず、その世界文学の名作とされる日記作品を読んでみなければなんとも言えない。ただ父親を慕うあまり近親相姦者となり、同時に多数の男性とも関係を結んでいく奔放な生き方にはあまり関心が持てない。
「父の娘」といえばそうだが、森茉莉とあまりに違い、併録する必要はなかったのではないか。

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「ザ・ロード」
ジャック・ロンドン 著
(ちくま文庫・川本三郎 訳)

大陸横断鉄道に無賃乗車して旅を続けるホーボー(放浪者)たち。著者若き頃の実体験を綴ったスリリングなアメリカ放浪記。

ジャック・ロンドンを読むたびに同じことを思うが、やはり部屋の中でじっとしていられない、体が先に動いてしまう行動型作家ならではの作品だ。
ホーボーと呼ばれる鉄道タダ乗り放浪者の存在はまったく知らなかったが、文庫本図版を見る限り列車の連結部や客車の下、天井など、かなり危険な部分に飛び乗り・飛び降りを繰り返している命懸けの旅である。それでも物乞いを続けながら自由に彷徨う喜びには換えられないというわけ。

日本でも山頭火や井月など彷徨う人はいるが、ホーボーは仏教的な無常感ではなくいかにもアメリカ的な明るさがある。ヨーロッパでもこんな奔放な訳にはいくまい。やはり新しい国ならではのフロンティア精神の余波のようなものかもしれない。
とりあえずジャック・ロンドンを嚆矢としてヘミングウェイや日本では開高健にしても、基本的に体が丈夫な作家の描く世界という認識であります。

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