漫画家まどの一哉ブログ
ゴーゴリを読む
読書
ゴーゴリを読む
ゴーゴリの描く人間たちはほんとに情があって、読んでて気持ちが乗ってくる。
「昔気質の地主たち」:ロシアの田舎で質朴な生活を営む小さな地主。主人公の爺さん婆さんは、善人で欲も少ない人間で、使用人たちは勝手に土地の作物などを横領しているのだが、まったく気付かない。
いなくなったネコが突然現れてまた野生に戻っていったその日、婆さんはこれはお迎えが来たんだと思った。死を観念した婆さんは食事もとらなくなり、数日経って本当に死んでしまう。爺さんは婆さんを葬った後、誰もいなくなった居間でしばらくぼんやりしていたが、突然声を上げて泣き出した。このあたりの描写が実にいい。5年後、筆者がひさびさに爺さんの家を訪ねた時、耄碌した爺さんは出された料理を見て「このごちそうは死んだ婆さんが…」と言って泣き崩れてしまう。5年も経っているのに…。
「ヴィー」:以前べつの訳で読んだ。ヴィーとは地妖という妖怪である。魔法使いに乗り移られて死んでしまった少女。その少女の霊魂を鎮めるべく教会で祈禱書を連夜読み上げる哲学生が、最後にこのヴィーによって結界を破られ、悪霊や妖怪たちの手に落ちる有名な幻想文学。ヴィーの瞼は重すぎて自力では眼が開けられないのだ。水木さんも漫画にしとります。
「外套」:しがない小役人の男。すり切れた外套をついに新調し、心も躍る思いで夜会に出かけたが、その帰り道せっかくの外套を追いはぎに奪われてしまう。しかもその外套を取り戻すべく上級役人に訴え出ては怒鳴りつけられ、そのショックがもとで死んでしまうという情けなさ。しかしこの男は幽霊となって街ゆく人の外套を取ろうとするのだから面白い。
「鼻」:ある日焼けたパンの中から知り合いの鼻が出てきた。そいつは朝起きると鼻がなかった。また、鼻は一人前の役人の格好をしてしらーッと街を歩いているのだ。こんな愉快でシュールな不条理劇が、1835年に書かれていた。
ゴーゴリを読む
ゴーゴリの描く人間たちはほんとに情があって、読んでて気持ちが乗ってくる。
「昔気質の地主たち」:ロシアの田舎で質朴な生活を営む小さな地主。主人公の爺さん婆さんは、善人で欲も少ない人間で、使用人たちは勝手に土地の作物などを横領しているのだが、まったく気付かない。
いなくなったネコが突然現れてまた野生に戻っていったその日、婆さんはこれはお迎えが来たんだと思った。死を観念した婆さんは食事もとらなくなり、数日経って本当に死んでしまう。爺さんは婆さんを葬った後、誰もいなくなった居間でしばらくぼんやりしていたが、突然声を上げて泣き出した。このあたりの描写が実にいい。5年後、筆者がひさびさに爺さんの家を訪ねた時、耄碌した爺さんは出された料理を見て「このごちそうは死んだ婆さんが…」と言って泣き崩れてしまう。5年も経っているのに…。
「ヴィー」:以前べつの訳で読んだ。ヴィーとは地妖という妖怪である。魔法使いに乗り移られて死んでしまった少女。その少女の霊魂を鎮めるべく教会で祈禱書を連夜読み上げる哲学生が、最後にこのヴィーによって結界を破られ、悪霊や妖怪たちの手に落ちる有名な幻想文学。ヴィーの瞼は重すぎて自力では眼が開けられないのだ。水木さんも漫画にしとります。
「外套」:しがない小役人の男。すり切れた外套をついに新調し、心も躍る思いで夜会に出かけたが、その帰り道せっかくの外套を追いはぎに奪われてしまう。しかもその外套を取り戻すべく上級役人に訴え出ては怒鳴りつけられ、そのショックがもとで死んでしまうという情けなさ。しかしこの男は幽霊となって街ゆく人の外套を取ろうとするのだから面白い。
「鼻」:ある日焼けたパンの中から知り合いの鼻が出てきた。そいつは朝起きると鼻がなかった。また、鼻は一人前の役人の格好をしてしらーッと街を歩いているのだ。こんな愉快でシュールな不条理劇が、1835年に書かれていた。
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