漫画家まどの一哉ブログ
「安岡章太郎短篇集」
(持田叙子 編・岩波文庫)
昭和30年代の作品を中心に、あまり知られていない佳作を収録。
安岡章太郎・吉行淳之介・遠藤周作、第三の新人と言われる3人の中で自分は安岡を最も好む。吉行はよく分からない。
既読のものもあるが、この短編集の中で読むと「家庭」「体温計」など戦争ものはなにか異質な気がする。
「マルタの嘆き」:姉マリヤは常に懸命に頑張っているのに、世間はぼんやりしている妹マリヤの肩ばかり持つ。グズでだらしがないくせに、いつも自分ばかり虐げられている演出が巧みで、男心を勝ち取ってしまう。このシンデレラ型の女と終生戦ってきた私(女性)のはなし。なるほど愉快な着眼点。
「放屁抄」:おならに関する少年時の体験や古事(屁ひり芸や平賀源内の「放屁論」など)あれこれ集めて屁の扱いのさまざまな局面を考察。と、最後に趣が変わって、初めて自身が吉原の公娼の店に飛び込んだときの物悲しい思い出に。これが良い。
「父の日記」:ラストの文章がよいので転記。以下『白いシックイで区切られた窓の外の空は、水色に澄んだまま、次第にその色を濃くして行き、やがて灰色がかって暮れてきた。しかし私の中で、母の顔はハッキリと浮かび上がり、父や母と別れて暮らし出して以来、自分に憑きまとった後暗いものが、ようやく薄れかかって行くのを、私はボンヤリと感じはじめていた。』
「猶予時代の歌」:ラストの文章がよいので転記。以下『私は感傷的になり、ひさしぶりにそんな歌を胸の中で繰り返した。しかし墨汁色の空には鳥の姿はなく、川風は一層冷たくなるばかりだ。と、右手の海軍経理学校の方から水平の吹き鳴らすラッパがきこえた。いったい、それは何の合図かわからなかったが、私は長く尾を引くそのラッパの音に耳を傾けて、しばらくその場に立ちつくした。』