漫画家まどの一哉ブログ
「大寺学校・ゆく年」 久保田万太郎
読書
「大寺学校・ゆく年」
久保田万太郎 作(岩波文庫)
以前「末枯・続末枯・露芝」を読んだ時、しっとりとした美しい文章に心奪われたが、その情緒・情感はこの戯曲でも変わらない。失われつつある江戸言葉とはいえ、人物の感情に即したあまりにリアルなセリフのやり取りに創作であることを忘れるほどだ。実に細やかである。
とくに「大寺学校」は浅草下町で20年続いた私設小学校の記念式典と行く末にまつわる話で、校長や教師たちの心の動きは現代の私たちでも素直に共感できるものだ。
「ゆく年」のほうはこれも浅草下町で魚屋や旅館業を手がける一族の愛憎渦巻く話だが、こちらはほんとうのべらんめえ口調なので、そのまま感情移入は難しいかもしれない。やや古風な感触はある。
どちらも単なる人情話としてオチをつけたようなものではなく、時代の流れる中で、解決策もないままに不安ながらも人生の営みを続けていく市井の人々を描いて秀逸なものであります。
「大寺学校・ゆく年」
久保田万太郎 作(岩波文庫)
以前「末枯・続末枯・露芝」を読んだ時、しっとりとした美しい文章に心奪われたが、その情緒・情感はこの戯曲でも変わらない。失われつつある江戸言葉とはいえ、人物の感情に即したあまりにリアルなセリフのやり取りに創作であることを忘れるほどだ。実に細やかである。
とくに「大寺学校」は浅草下町で20年続いた私設小学校の記念式典と行く末にまつわる話で、校長や教師たちの心の動きは現代の私たちでも素直に共感できるものだ。
「ゆく年」のほうはこれも浅草下町で魚屋や旅館業を手がける一族の愛憎渦巻く話だが、こちらはほんとうのべらんめえ口調なので、そのまま感情移入は難しいかもしれない。やや古風な感触はある。
どちらも単なる人情話としてオチをつけたようなものではなく、時代の流れる中で、解決策もないままに不安ながらも人生の営みを続けていく市井の人々を描いて秀逸なものであります。
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