漫画家まどの一哉ブログ
「月刊架空9月号」の三好作品(mixiより)
巻頭三好吾一作品「城山」。なにげない日常を丁寧に描くという作品は、ときどき世の中にあるが、難しいものだ。事件らしいことは何も起こらないから、読ませる技術がなければとうぜん退屈なものになる。その読ませるテクニックをこの作家はもっていて、その秘密は情景描写にあり、無言ではあるが語りかけてくるコマの連続である。遠景と近景のリズムがあって、セリフやナレーションが無いのが心地よく読めた。
情景描写は、写真の中間色を忠実に斜線に置き換えている。むかし漫画があまり資料写真に頼らずに描かれていた頃、木は木、石は石、雲は雲の意味を持った記号で構成されていた。よくみれば、近世日本画の世界などもこの記号的方法で描かれていて、自分などもこの延長で苦心している。
そんな自分から見れば、三好作品の描線は非常に魅力的な世界である。
で、話は主人公が実家で一日を過ごすというだけのものであるが、クライマックスは城山から街を遠望するところであろう。それがどうしたと言われればそれだけのことだ。母親との会話も含めて、さらに迫真的なところを読みたい。日常も分野は違うが庄野潤三レベルまで描き込んでいけば、のっぴきならないものになる。日常とは実はこういうものだという漫画でしか味わえないものを読みたい。
情景描写は、写真の中間色を忠実に斜線に置き換えている。むかし漫画があまり資料写真に頼らずに描かれていた頃、木は木、石は石、雲は雲の意味を持った記号で構成されていた。よくみれば、近世日本画の世界などもこの記号的方法で描かれていて、自分などもこの延長で苦心している。
そんな自分から見れば、三好作品の描線は非常に魅力的な世界である。
で、話は主人公が実家で一日を過ごすというだけのものであるが、クライマックスは城山から街を遠望するところであろう。それがどうしたと言われればそれだけのことだ。母親との会話も含めて、さらに迫真的なところを読みたい。日常も分野は違うが庄野潤三レベルまで描き込んでいけば、のっぴきならないものになる。日常とは実はこういうものだという漫画でしか味わえないものを読みたい。
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